「キミの知らない、日本の真ん中(最新)へ」 風雨来記4を追いかけて

2024岐阜の旅

序「みんなが知ってる、日本の端っこへ!」

バイク、車、徒歩、自転車……
手段はどうあれ「日本一周」や「日本縦断」みたいなテーマを掲げて長旅をする人にとってひとつの目安、チェックポイント、あるいは最終目標にもなったりするのが「最端(四極)」だ。

日本の端っこ。
旅人の聖地。
中でも「日本最北端の宗谷岬」は特に有名だろう。



最北端:宗谷岬(北海道)
最東端:納沙布岬(北海道)
最西端:与那国島・西崎(沖縄)
最南端:波照間島・高那崎(沖縄)




以前自分が自転車での日本一周を行ったときも、この「四端到達」を目標のひとつにして、無事到達することができた。
「日本一周」といってもはっきりした定義はないので必ずしも最端を踏む必要はないけれど、基準がないということは何を頼りにしていいか曖昧ということでもある。

日本とは何か。
極論、その場で一周ぐるりとまわればそれも日本一周と言うことすらできる。


だからこそ、端っこというのは大きな道標となる。
日本の最も端へ辿り着くという行為はシンプル故に非常に分かりやすく、達成感も大きい。
現代のゲームで言うところの「実績解除」的な感覚に近いかもしれない。



四端踏破






ところで、上記の四端スポットはあくまでも「自由到達可能な最端」という括りにおけるピックアップになる。
「特別な許可や装備が必要無く、民間人が誰でも自由に訪れることが可能な場所」ということだ。



北海道を舞台にした風雨来記1では「宗谷岬」に訪れると、多くの観光客がモニュメントの前で記念撮影して満足しているのを尻目に主人公は岬の岩場の先端に立ち、「この地点こそが最北端中の最北端」「今この瞬間俺こそが日本最北の男だ」と悦に浸るのだが、直後目の前を漁師さんの船が通っていく――というイベントがあった。



そのとおり、日本は海に囲まれた国なので、本当に厳密な意味での日本国最端は「海上」になる。
また、「陸地における最端」に限ったとしても沖合にある無人島とか海上の岩礁が該当するので一般人は到達できない。
無人島を含めた場合は、最端のうちふたつは意外なことに「東京都」となる。


最北端:弁天島(北海道)
最東端:南鳥島・坂本崎(東京)
最西端:トゥイシ(沖縄)
最南端:沖ノ鳥島・北小島(東京)



の四端だ。

こうした端っこ設定は、他にも「本州最端」とか、「○○県最端」とか、「人力のみで到達可能な最端(船不使用)」とか、定義次第で無限に増える。
旅する際、そんな「最端」付近を通りがかると、ついつい立ち寄ってしまうのが旅人のサガだ。




自分がこれまで訪れたことのある最端は先述の「四端」の他、


「本州最北」青森の大間崎、「本州最南」和歌山の潮岬、「本州最西」山口の毘沙ノ鼻。
「四国の最南端」足摺岬、「四国最西端」佐田岬、「九州最北端」の門司港。
「本土(陸路)最南端」の鹿児島佐多岬、「本土(陸路)最西端」の佐賀県神崎鼻などが挙げられる。


基本的にそのほとんどが「岬」だ。
そもそも岬という言葉自体が「補足突き出た先端」を意味するので、当然と言えば当然か。
なお、岬・崎・鼻は基本的に同じ意味で、地形規模や地域慣習で使い分けられるが厳密な違いというのはないらしい。








日本の真ん中

さて、「端」や「極」とは真逆をあらわす言葉に、「真ん中」がある。


日本一周で旅したとき、いくつかの「日本の真ん中」に「遭遇」した。
たとえば政治経済の中心「東京」や「青森の日本中央の碑」、「日本標準時子午線の通る町・明石市」などだ。
※古代での「日本」は東北のことも指した



そんな中で特に印象深かったのが、群馬県の「日本のへそ」だった。
「本土最北端の宗谷岬」と「本土最南端の佐多岬」を一直線に結ぶと、中心がここになるのだという。

なるほど、説得力がある。







前章で挙げたとおり「端っこ」ですら定義次第で解釈が分かれるのだから、「真ん中」についても推して知るべし――
今、ネットで調べたら出るわ出るわ、ひとくちに日本の真ん中といっても、長野や栃木、兵庫など、全国には数十箇所の「日本の真ん中」があるそうだ。


でもそんなことは日本一周当時は知らなかったから(ネットはすでに普及していたけど、一般的にはまだまだ日常的に使われておらず、ネットで発信やブランドイメージ作りしているしている自治体も少なかった)、自分の中ではそのときの印象のまま長らく「日本の真ん中=群馬県である」というイメージが根強く残り続けた。




時は流れて2021年、風雨来記4が発売。
キャッチコピーは「キミの知らない、日本の真ん中へ」
舞台は岐阜であった。


日本一ソフトウェア





これは今考えても最高のキャッチコピーだった。
「えっ、岐阜って日本の真ん中なんだ」という驚きから「どういう意味での真ん中なんだろう。地理的なこと?それとも文化的な意味?」というふうに、岐阜、そして本作へ興味を持った人もいたことだろうと思う。


ちなみに第一作のコピーは「北海道へ、行こうよ。」、第二作は「みんなが、知らない、オキナワ」。

北海道や沖縄は、多くの日本人がその名を聞くだけで脳内に「大自然!広い道!一面の丘と花畑!」とか「青い海!白い浜!赤いハイビスカス!」みたいなはっきりしたイメージが思い浮かぶ『強力なネームバリュー』があるけど、岐阜の場合は、岐阜という地名だけ聞いてもそこまで直感的・圧倒的なイメージがないひとがほとんどだろう。

たとえば白川郷や関ヶ原は知らない人がいないほど有名な土地なのだが、それが岐阜にあるということはあまり知られていないのが現実だ。(白川郷については4プレイ前の自分もそうだった)




岐阜をよく知っている人や地元民であったとしても、それぞれがイメージする要素が様々に散らばっていて――


日本の屋根と呼ばれる高く深い山々が連なる。
合掌造りなどの伝統的な建築や、街並みがある。
中山道を通じて、京都と江戸の文化の交流地点で焼き物や茶文化が発展。
日本列島でも最古級の地質に由来するダイナミックな地形。宝石もとれる。
戦国時代が好きな人にとっては信長や光秀に縁深い土地としてのイメージ。
至るところを碧い清流が流れる、釣りのメッカ。


そう、色々な要素があるために分散して「これこそ岐阜!」と魅力を一言であらわすというのは超難問なのだ。

にもかかわらず見事それらを内包しつつ、さらに想像をかきたてるキーワードこそが「日本の真ん中」だったと思う。



風雨来記4はシリーズの中でも売り上げはかなり良かったようだ。
でなければすぐに続編の5が発売されたりはしないだろう。


4が好調だったのはゲームそのものの出来はもちろん、マルチプラットフォーム展開(任天堂機への発売はこれが初だった)やコタチユウ氏の絵の魅力、動画サイトでの配信やYAMAHA・岐阜新聞・アライなど様々な企業とのタイアップ、コロナ禍で外出が難しい時期だったこと、それと相乗してのSNSでの口コミなど、様々な要因が重なり合った結果だったと思うが、「日本の真ん中」というキャッチコピーもヒトを惹きつけるために少なからず寄与していたはずだ。


単に「『岐阜』を旅できるゲーム」と聞いても、岐阜を知らない、イメージが浮かばない人の心には届かないだろう。
この場合はむしろ、「キミも知ってる、岐阜の旅へ」というキャッチフレーズの方が適しているくらいだ。
「白川郷や下呂温泉を旅できるゲーム」と聞けば「ああ、確かに知ってる!」となる。


だがこれが「知られざる『日本の真ん中』を旅できるゲーム」と聞けば、たとえイメージが湧かなくても、いやむしろ湧かないからこそ、日本人として心が騒ぐものなのだ。



富士山が多数の日本人にとって心の特別な位置を占めるのは、「自分たち日本人」にとっての自慢の山だと誇らしく感じるのは、その山容の美しさや歴史の長さよりも何よりも、「日本で一番高い山」であるからだ。



同じように、岐阜を「日本の真ん中」と定義した瞬間、多くの日本人にとっても「自分に関係あること!」という関心ごととなる。
風雨来記4の「キミが知らない、日本の真ん中へ」というキャッチコピーは、そうした日本人の心にヒットして一気に引き込む、素晴らしい名文だったと自分は思う。





実際、風雨来記4作中では「色んな日本の真ん中」が表現された。

たとえば、メインBGM(名曲!)の「Route 21」は国道21号線のことだが、この国道21号線は江戸時代の中山道をベースにして整備された国道だ。

中山道はもともと「東山道」と呼ばれる街道だったのが、江戸時代以降に日本国土の真ん中の道という意味で「中仙道」と呼ばれ、その後「中山道」呼称に統一された。



また、戦国時代に信長が岐阜城を居城にしていた頃の美濃は「日本の真ん中」だったと言えただろう。
あるいは関ヶ原。
「天下分け目」と言われた戦は岐阜で起こっている。


昔話に出てきそうな「日本的田舎風景イメージど真ん中」、と言えば白川郷や御母衣の「合掌造り建築」が挙げられるし、東濃・岩村城近くの「農村景観日本一展望台」なども「古き良き日本の農村風景を今に残す場所」という意味では「日本の心の故郷(真ん中)」と言えるかもしれない。




とはいえ、そうした要素だけで令和現在の岐阜を「日本の真ん中」と主張するにはまだ弱い。


最も直接的・現実的・客観的な「日本の真ん中」であり、このスポットがなかったら「日本の真ん中」というキャッチコピーは使えなかったんじゃないかというくらい、実は風雨来記4のイメージの根幹を担う最重要な場所は上に挙げた場所とは別にあると自分は思っている。



それが「統計データ」における「日本の真ん中」。
日本人口重心地「中之保公園」だ。







「国」というものが成立するためには不可欠なものが三つある。
「国民」「領土」「政府」がそれだ。

日本人口重心地という考え方はこのうち、「国民」を基準に考えた場合の「日本の真ん中」となる。
国民一人一人の重さを同じと設定(命の重さと考えれば妥当だろう)して、全員が天秤に乗った場合に釣り合いがとれる地点。

それが人口重心地。


今回はここを訪れた時の話をしよう。









中之保公園 探訪

夏まっさかりのある日。
このときの旅では、初日京都を出て赤坂宿やギフのピラミッド(金生山)、天空の茶畑などを巡ったあと、「美濃橋」の河川敷でキャンプした。

そして二日目、朝五時に出発。

七宗町の山奥にある「空ふさがり」を目指して山間の道を走っていた最中に「日本の真ん中」はあった。




道の途中唐突に、作中で見た「日本の人口重心地」という看板が出てきて一度は通り過ぎてしまった。

この公園、入り口がちょうどカーブに差し掛かったところ(カーブの途中)にあるので前もって場所を把握していないと見落としてしまうだろう。


ゲーム中ツーリングモードでもカーブの様子が分かるので、ぜひ確認してみて欲しい。



風雨来記4ツーリングモード。正面カーブに差し掛かったところが中之保公園だった。




到着したとき、中之保公園には駐車場に車が一台停まっているだけ、自分以外の人の姿はなかった。

訪れたのが朝六時時台、早朝ということもあってひとけが少ないのは当たり前かもしれないが、目の前の道路には結構な頻度でびゅんびゅん車とバイクが行き交っているので、なんだか時の流れから切り離された空間に迷い込んだような雰囲気を感じた。










中之保「公園」とは言うが、道路脇によくある休憩スペースを少し立派にしたくらいの規模感だった。
駐車場とベンチとトイレ、小さな遊具、ちょっとした散歩歩道。それだけだ。




風雨来記4作中(2021年以前)と全く同じ看板が出迎えてくれた
鉄塔の左上あたりの稜線付近が、日本重心地だったようだ




舗装された歩道から草木に覆われた土手を降りるとすぐ「日本の人口重心地」のある小山が見えた。
ゲーム内でも解説され、看板にも書かれているが、実際の重心地は「私有地のため」立ち入ることはできない。
ここから見るのみだ。

残念。

それでも少し近くまでは行けるかな、と脇道から伸びている舗装道路を歩いてみると、重心地とは別の方向に気になる風景を見つけた。







なんだあのかたち。

ピラミッドに見える四角錐の小山。
てっぺんにぽつんとたつ一本の木。

?????

なんでああいう形になったんだろう。
よくみると、ピラミッドの外周に螺旋状の道が見える。
てっぺんまで車、たぶん重機が通った跡だ。


ギフのピラミッド・金生山みたいに「採掘跡」なのかな?
それにしたって周りの山と違ってあそこだけ綺麗にピラミッド型になってるのが不思議だ。

てっぺんの木も気になる。
周りは全部伐採してるのにあれだけ残した理由はなんなのか。

ネットで調べても特に情報はなく、地図を調べても特に何らかの山名がついていることもなかった。
謎は謎のままだ。




代わりに、良い場所を見つけた。


あの謎のピラミッド山の向こう側。
中之保公園からほんの1キロちょっとの距離に、「お宮の清水」と呼ばれる名水が湧いているようだ。
バイクなら二分の距離。


ちょうどいい・・・・・・、と思った。









4作中でも触れられていたように、人口の重心は現在もどんどん東京近郊へと傾いていて、日々その中心も東へずれている。


中之保公園は、「平成27年度の人口重心地」だった。
そして実は令和2年にデータが更新されたため、ここが日本の真ん中だったのは「すでに過去の話」なのだ。


元々、新しい日本の真ん中へも行ってみるつもりだったのだが、お宮の清水はちょうどその道の途中にある。
なのでちょうどいい。
是非立ち寄ってみよう。











神社の駐車場にバイクを停めると、すぐ近くに砕石工場が見えた。
石灰鉱山の加工施設らしい。

てことはやっぱりさっきのピラミッドは採石跡なのかもしれないな。

ちょうどこの工場の裏山が例のピラミッド山にあたる。
一帯で採れた石灰鉱物をここで加工しているのだろう。


それにしたって、ピラミッドのてっぺんにキーストーンならぬキーツリーが一本残ってたのはナゾだけど。
御神木のような、リスペクト的なものか。
あるいは単なる遊び心?













山の裾野、川沿いに連なる静かな集落。
小さな橋をひとつ越えた先に白髭神社があった。

駐車場周辺には「お宮の清水」と書かれたいくつもの看板が来訪者を誘っている。








白髭神社で参拝してから、奥へ。








お宮の清水はこの神社の境内にあるようだ。
お宮とは、白髭神社のことなのだろう。

神社の湧き水だから、「お宮の清水」。
超ストレートなネーミングだ。








はたして湧水場所は、神社の本殿の真裏にあった。

360度画像はマウスやタップなどで拡大縮小や360度の方向確認できます




「お宮の清水」というネーミング。
さっきは、ストレートだと思ったけど、よくよく考えるとミスリードだったかも。


これって「お宮で湧いている清水」ではなく、「清水そのものがお宮」というのが本来の意味合いなんじゃないか。
つまり、この湧水地自体が古代から存在して、それが後に神格化されて神社になったのかもしれない。




それは神社の向きからもわかる。
神社は普通、御神体に向かって建てられる。

これは当たり前だ。
訪れた人は、神様に向かって拝むのだから。
このため、たとえば山そのものを御神体にする神社は当然、山を背に拝殿・本殿が建っている。


そしてこの白鬚神社、本殿の真裏にお宮の清水がある。
いわばこの清水が「奥宮」のような位置関係なのだ。

さきほど白髭神社の拝殿を参拝したが、自然とこの「お宮の清水」に向かって拝んでいたことになる。





周辺をよくみれば、「お宮の清水」の看板のある湧水池だけじゃなく、あちこちから水が湧き出していた。
たとえば、池から本殿を挟んだ反対側にも。






境内の縁にも。
こちらには一面のクレソンが繁茂していた。







この湧きよう。
神社の境内、あるいは背後の森も含めた「周辺の杜一帯」が水源地と言ってもいいかもしれない。
そんな水源地の中心というか真上に立っているのが、この神社なのだ。

まさに「お宮の清水」。




ここの水は、飲用や生活用水以外にも田畑にも使われていて、枯れたことがないそうだ。
イボなどの病にも効くという伝承もある。


白髭神社の創始は不明だそうだが、このあたり一体の地名は「温井」と言って、これはこの清水が一年通して温度がほとんど変わらない=冬は温かく感じるということから来ているという。

そんなこともあって、岐阜名水百選に選ばれている、かなり有名な湧水らしい。






朝日が差し込んでいることもあって、惚れ惚れするほど透明で綺麗な水だ。
水量が非常に多く、取水口の先は、ほとんど池のようになっている。

ファンタジーRPGなどで登場する「回復の泉」のような雰囲気。



水をすくって顔を洗うと、肌に染み入るような強烈な冷たさだった。
思わずそのままごくごくと飲み干したくなる。

とはいえ、案内板にはわざわざ「生でそのまま飲むには適さない」と書かれている。
ここは汲んでおいて、後で沸かして飲もう。




岩の隙間から湧きだしている。石清水だ。
備え付けられているひしゃくを借りて、ペットボトルに注ぐ。めちゃくちゃ冷たい!





空のペットボトルに汲むと、あっという間に表面が水滴で真っ白になった。
きんきんに冷えている。
美味しそう……


・・・・・・
やっぱり、ほんの一口だけ。
自己責任。



ああ、うまい!!
幸せ!


徐々に暑さを増し始める真夏の早朝。
喉を潤して生き返った気分で次の目的地へと出発する。









新・日本の真ん中へ。











最新(令和2年)版日本人口重心地は、旧スポットよりもさらに分かりにくいところにあった。
中之保公園から、距離にして約3キロ。


さっきの場所は地元の車もツーリングライダーもびゅんびゅん行き交う大きな道路沿いだったけど、こちらはかなり外れた田んぼ道の途中だ。
スマホのマップアプリがなかったら、たどり着くのに苦労したかもしれない。

自分が訪れた時は他に誰の姿もなかった。









ただ、スポットそのものは、等身大(?)「はもみん」が農道横でバランスをとっているのですぐ分かった。










「はもみん」は正式名称「関*はもみん」と言う、関市の公式キャラクターだ。
「関」は名字、「*」はお花をあらわしているらしい。

風雨来記4主人公は作中で「耳が刃物だし、なんだか物騒だ」と述懐していた。
確かに無表情が多めなのでヤバイキャラに見えなくもない……が、調べてみると、はもみんは地方マスコットキャラでたまに見る「毒のあるタイプ」ではないようだ。
少なくとも公式SNSでの発信は、普通の……普通すぎるほど普通で、広報キャラクターとしてそれはそれでどうなんだというくらいおとなしいキャラクターだった。



反面、キャラクターデザインというか、ビジュアル面はなかなか秀逸だ。

はもみんの耳はガチの刃物となっていて、これは伝統産業の刃物であり未来を切り開くイメージを持つ「ハサミ」らしい。
全体モチーフはうさぎ、尻尾の新芽は新しい発展を表す。



基本はへの字口の無表情キャラだが、関市が発売した公式LINEスタンプなどでは、やや平たいまんじゅう顔になって、喜怒哀楽ころころと表情の変わる「可愛らしい関*はもみん」のイラストを見ることができる。



この画像、耳がハサミモチーフなら外側は斬れないのでは?とか、「ファイト!」と応援しながら斬る理由は何なのとか、なぜキウイを斬っているのか、キウイは何かの暗喩なのかとかツッコミどころは尽きないが、40種全体をみれば素直に可愛いスタンプ集なので、自分は購入して日常使用している。










はもみんのはるか後ろ。
あの山の中腹に、新しい「人口重心地」があるそうだ。

旧の方と同じく、私有地のため現地までは行く事はできないようだ。







一応、山の麓あたりまではアスファルトの農道が通っていたので近づいてみたが、獣除けの柵がある以外特に何もなかった。





ただ、そこから少し左側に歩いた山の隅には神社が建っていた。
参拝してみよう。






苔に覆われた雰囲気のある神社だ。
石上神社というらしい。

石上と聞いて、奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)が思い出された。
「霊剣布都御魂(神武天皇の剣)」や「天羽々斬(ヤマタノオロチを斬った剣)」「七支刀」など、多数の「剣」を神宝として所有することで有名な古社だ。


このブログでは、岐阜市の中心的神社である「伊奈波神社」について以前から何度も触れてきた。
橿森神社に祀られる神「イチハヤオ」の父「イニシキイリヒコ」が祀られているのが伊奈波神社で、母「ヌノシヒメ」が祀られているのが金神社。
彼らは美濃開拓に携わった人々。
三社は岐阜市街地に在しており、歩いて巡れる範囲にある。


だがこれらは岐阜に古くから伝わる伝承に基づいている、言わば異伝。
朝廷が編纂した日本書紀によれば、「イニシキイリヒコは奈良の石上神宮に一千本の剣を納め、それ以降も90歳を超えるまで同神宮の神宝を管理する職に就いていた」とされている。



そうした連想から、「石上神社」を「いそのかみ」と読んでしまいそうになるが、調べてみるとここではそのまま「いしがみじんじゃ」と呼び、祀られているのも戦国時代の可児氏の氏神「石上大神(いしがみおおかみ)」なのだそうだ。

奈良の石上神宮との関係は不明らしい。


えらく立派な彫刻がほどこされた賽銭箱





ここの神様も、まさか自分の坐する土地が「日本の真ん中」になるとは思っていなかっただろう。














360度画像はマウスやタップなどで拡大縮小や360度の方向確認できます





再びはもみんの元へと戻ってくる。
他に特に案内があるわけでもないから、「日本の真ん中」はここ、はもみんの居る地点から眺めるのがベストのようだ。






朝日に照らされながらバランスをとりつづける関*はもみん。
畑の緑との対比がなかなか絵になる。

……見方によっては、いたずらの罰としてバケツを持ってここに立たされている子供――のように見えなくもないのがまた味がある。





今回の人口重心地は前回に引き続き関市に留まったため、こうやってはもみんのお仕事の場となったわけだが、次回はどうなるんだろうか。



総務省統計トピックスhttps://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/pdf/topics135.pdf





地図と推移を見てみると、おそらく次の調査では関市から出て、南東の川辺町か七宗町に移ると思われる。

そう遠い日のことではなく、次の調査結果が出るのはほんの数年後のはずだ。


1965年の調査のときは美山町円原(現・山県市円原)。円原川の上流あたり。
1970年の調査のときには洞戸村高賀、つまり今「モネの池」があるあたりが人口重心地だったそうだ。
その後、首都圏の人口に引っ張られて南東に移動し続けている。



これまで調査が行われるたびに「人口重心地」は更新されてきたが、ずっと岐阜県内には在り続けた。
おかげで県内には今もたくさんの「人口重心地・跡地」が残っていて、これまでの岐阜旅でも何度かそういう案内看板を見かけた。


一度、意識的にそれらを巡ってみる旅……というのも面白いかもしれない。







形のない「概念」スポット


それにしても……

こういう、目に見えず、本来その土地に根付くわけですらない、人間がデータを元に「こうだ!」と定めて生み出した「概念的スポット」というのが、自分はけっこう好きらしい。



よくよく考えてみれば世の中というのは存外「そういうもの」は満ちている。

「最○端」なんてその最たるものだし、もっと根本的に、国とか土地とかいう考え方自体が人間が作り出した概念だ。



突き詰めれば、神話の類もそうだろう。
たとえば「ここが天の岩戸伝説の舞台だ」とか「ここでヤマタノオロチが退治された」という土地があると聞いて「本気でそれがそこで現実に起きたことだ」と考える人は現代に置いて皆無に等しいだろう。


それでも「なぜか」現地を訪れてみたくなるし、そこに立てばロマンを感じるし、想像も膨らむ。
もしかしたら何かしら近い出来事があったかもしれない、何らかの歴史的事実が基になっていて、いくらかの真実が含まれているかも、なんて頭によぎったりもする。


「現実」とは別レイヤーで「実感」を覚え「信じてしまう」器官が元来、人の心の中にはあるのだろう。





ものの本によれば、人間(ホモサピエンス)というのは、「現実とフィクションの区別がつかない生物だったからこそここまで繁栄した」のだという。
想像や未来への期待、「ストーリー」を、他者と共有することが出来る。

それによって生物としての社会性が限界以上まで発揮され、集団団結力が強固になった。


「勇敢に闘って死ねば、神の国(ヴァルハラ)に招かれる」という信仰を持てば狂戦士となるし、「悪事を働けば天罰が降り、死後地獄に落とされて苦しむ」と信じていれば善行を重ねるようにもなる。



昔は現実とフィクションの境界はもっと曖昧だっただろうが、科学が発達した現代においてはそういうわけにもいかず、日常生活の中では、現実とフィクションを「理性」で区別している。

とはいえ、理性のスイッチのオンオフは人それぞれで、知識や経験、そのときの気分などいろいろあるはずだ。
特定の条件下において、スイッチがガバガバに緩むなんてことも起こる。
自分の中で、都合良く現実とフィクションをコントロールできれば一番幸福かもしれないが、人間そう器用なことはできないのがもどかしいところだ。



「旅に出ているとき」もまた、そうしたスイッチが緩みやすいシーンだと思う。


そう、翻ってみれば、自分の「風雨来記を追いかけて」巡る岐阜の旅もまた、近しいものがあるかもしれない。

ゲーム内でのリリさんとの想い出の地を巡ると、「はじめて訪れる場所にも関わらず」「そこでの想い出が再生(想像)される」という、脳内バグが生じる。
主観の中で、現実とフィクションが「重なり合っている」状態。


「そこ」に、物語が湧き上がる。
自分だけの物語。

物語はフィクションであるが、それを「感じている」のは紛れもなく、現実にそこに立っている自分なのだ。





自分が岐阜や島根を旅するときに浮かぶストーリーはほとんど全部リリさんについてだけど、土地によってはそこに住んだ古代の人々だとか、歴史上の有名人だとか、あるいは動物や植物、建物、道具――国や街、概念。
いろんな要素が「物語」たり得る。



そんな感覚を味わうため、というのが自分が旅をする一番大きな目的なのだと思う。
これからもたくさんの物語を見つけ、書き記していこう。















補遺1:鬼の岩

少し時系列が前後するけど、中之保公園の周辺にちょっと面白い場所を見つけたので紹介しておく。


中之保公園から徒歩数分圏内に、「鬼の遺跡」と「竜宮」というふたつのスポットがあった。
まずは鬼の遺跡から。


「たたら」という地名。製鉄民のことを「鬼」と呼んでいた――という説があるのと関係あるのだろうか。



岐阜県関市中之保多々羅。
「多々羅」、いかにも鬼や製鉄に関係していそうな地名だ。

実際、日本各地の鬼にまつわる伝承がある土地を訪れると、製鉄の痕跡が残っているケースが多いから、きっとここもそのひとつなのだろう。



この後に見ることになる鉱石が採掘されたピラミッド型の山。
あれは現代の鉱山だが、このあたり一帯で古くからあんなふうに鉱物資源が採れたんだろう。
山に暮らしてそうした資源を採掘する人々が、里の人たちから「鬼」と呼ばれていたのかもしれない。








ここには「鬼が落とした大石」と呼ばれる巨石がふたつ、たたずんでいる。

山裾にポツンと転がる大きな岩。
どこからやってきたのだろう。

ぱっと思いつくのは、すぐ近くの谷川が大氾濫したときに上流から流れてきた……とかかな。






ここでは「武儀のむかし話」という本からの引用として、地域の伝承が紹介されていた。
要約すると次のような感じだ。



むかし、このあたりの山に一人の鬼が住んでいたが、ある時弱って里へ降りてきた。
空腹で行き倒れているところを村の子供達が通りがかって、食べ物を分けてあげると、鬼はもっとくれとせがんだ。

子供たちが「鬼が身につけている石をくれ」と言うと「お守りなのであげることはできないが、この石の真のパワーを見せてやる」と答えたので、子供達はさらに多くの食べ物を持ってきた。
それで元気を取り戻した鬼は、石の力を引き出して空を跳び回った。

歓声をあげて喜ぶ子供達に気をよくしてあの山へ跳び、またこの山へと跳んでを繰り返した鬼は、途中で大事な石を落としてしまう。
必死に探してもけっきょくその石は見つからず、鬼は泣きながら山へ帰っていき、その後姿をみせなくなったという。






それがこの石だそうだ。
空を飛んだパワーの秘密は分からないが、よくみると岩の上部に植物が繁茂している。

苔が生えているくらいならよく見るけど、ここまで大量に雑草が生い茂っているのは珍しい気がする。
これも、鬼の石のパワーなんだろうか。

普通の石とは違った、なんらかの成分を持っているのかもしれない。



石の上部には小さな生態系が広がっている
田畑の奥にぽつんと転がる鬼の石。






補遺2:竜宮(小便所)



中之保公園に、周辺の観光スポットを紹介する周遊マップが貼られていた。
これによれば、歩いて数分のところに、竜宮と呼ばれる場所があるらしい。

岐阜……というか美濃地方を旅していると、不思議なことにところどころの河川で「竜宮」に関する伝承と出くわす。
竜宮といえば、海深くにある乙姫さまの御殿だ。

それがなんでこんな山の中に?





割と新しめの看板はあるが、竜宮と呼ばれているらしい岩のところまでは降りる道は見当たらなかった。
道路から川面までの高低差は二階建ての建物くらいある。

きっとどこかから回り込めばいけるのかもしれないが、看板の説明をよく読むと、急に降りたいという気持ちが消滅した。



人々が竜宮と呼ぶ大きな岩がこの川にある。岩の下には二つの穴があり「乙姫さまのしょんべんきだ(小便所)」と言われ、干ばつの夏には、ここをさらえると雨が降ると言う伝説がある。



崖の上から見るだけにしておこう。





おそらくあれが竜宮だろうか。岩の下にあるらしい穴はここからではよく見えない





おそらく、川床の穴とは甌穴(ポットホール)のことだろう。
自分もこれまで旅をする中で全国各地で出会ってきた。


原理としては、「川の流れ」と「硬い地質」が揃ったときに起こる自然現象だ。

川の流れで川床のくぼみに入りこんだ小石がくぼみを削る。
すぐに小石の方が先に削れてなくなるが、また新しい小石が入り込む。
それを気が遠くなるくらい繰り返すと、くぼみが穴となってさらに大きな石が入りこんでさらに削り広げる。

その繰り返しでやがて巨大な穴へと成長する。
人間どころか、それよりはるかに大きな生物————たとえば龍が潜めるほどのサイズへと。


おそらく、昔の人々はなぜこんな大きな穴があるのかを考え、龍の住処=竜宮だと考えたんじゃないだろうか。
だから、急流の多い岐阜には「竜宮」がたくさんあるのだ。



この場所については、竜宮だけでなく「乙姫様のしょんべんきだ」なんていう表現がひっついているが…………これはこれで、何かしら意味があるのかもしれない。




ところで、自分の経験上こうした竜宮と呼ばれる甌穴は、海底とつながっていると言われていることが多い。

おそらく元々は、その土地の龍が住む場所という意味で竜宮と呼ばれていたのだと思う。

それが後世、「浦島太郎」のおとぎ話が一般化するうちに「海の竜宮城」と「山の中にある竜宮」が混同されて、同じ名前なのだから双方が水の中で繋がっている——という話に変化していった。

こうそう考えると割と自然な感じがする。


で、たまたまむかし、この竜宮付近で暮らしていた女性がいて、あれはきっと乙姫だったに違いない――という連想へと繋がっていったんじゃないだろうか。








今回のレポートはここまで。

中之保公園周辺は、小さな範囲に「日本の真ん中」「鬼」「ピラミッド」「竜宮」「湧水」と色々な要素が詰まった面白い土地だった。


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