以下執筆中。
数日以内に書き終えます。
島根を巡る旅から帰ってきた。
坂、遺跡、炭酸、温泉、山。
振り返ってみると、今年の夏の旅はどこかしらで全部がつながっていたと思う。
早速旅の記憶をここにまとめていきたいところだけど、一日目を書き終えた時点で一万文字を超えてしまった。後半に進むに従って文字数が増えていく傾向にあるから、十日分を書き終えるのはかなり先になるだろう。
そうした旅の模様は次回以降順次アップしていくつもりだが、今回は、今年の島根旅で最も印象的だったことにしぼって書いておきたいことがある。
旅の醍醐味のひとつに「予期せぬ出会い」がある。
人との出会い、場所との出会い、食べ物や出来事、歴史や生き物との出会い。
あるいはこれまで気づかなかった自分自身との出会い。
島根を訪れるのは今年で3度目で、過去の探訪でほぼ島根一周と言えるほど県内を巡ったから、どこにどんな街やスポットがあるか、どの道をどう走ればそこへ行けるかなどをおおまかに把握して「しまって」いた。
なるべく違ったルートをとるように巡るとしても、道中に「いつもの場所」「いつもの道」が増えてくる。
そして、「どうしても行きたかった場所」は過去の二年でだいたい探訪済み。
だから、旅に出るまでは地図を広げていても……いや実際に出て島根に着いた初日の時点でも、なんとなく「予期せぬ出会い、目新しい発見はもう無いかもしれない」と思っていた。
「気ままな旅」というよりも、事前にピックアップした行きたいスポットを順番に巡る「計画的な旅行」という要素が強くなるかもしれない。
1日目はここ。2日目はここ。この日はここに泊まって、その次はここへ。
それはまるで、過去の二年で終えきれなかったジグソーパズルのピースを埋めるような行程。
決してそれも悪くない、悪くないんだけれど、自分が旅に一番求めているもの……思わぬ驚きとか感動との出会いには期待出来ないんじゃないだろうか……
ばくぜんと、そう感じていたのだ。
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ところで、今回の旅の日程ではひとつ大きな懸念点があった。
9日間の旅程の中で、前半の3日間に「雨マーク」がついていたことだ。
実際には予報よりだいぶ悪化して、初日(土曜日)の夕方から5日目(水曜日)までずっと雨模様が続いた。
降雨量も多く、線上降水帯による集中豪雨にも遭い、行動不能に陥ったこともあった。
だが、しかし、結論から言っておくと、今回の島根旅は、「雨があったからこその、予期せぬ出会い」に満ちていた。
雨が降るから停滞する。
雨が降るからルートを変える。
雨から逃げるように動く中で結果的に、いつもは訪れないような場所へ雨宿りがてら立ち寄ったり、本来訪れるつもりがなかった地域へ足を延ばしたりと、普段の自分ならとらないような行動、選択が自然と増えた。
そして、その積み重ねが、事前の要素とは大きく違うかたちへ旅を変えていった。
旅に出る前までは——ほんの数日前まで——前日までは——いや当日の朝、あるいはほんの数十分前まで「存在すら知らなかった場所」に自分が立っている。
そんな驚きの体験、新鮮な感動の連続となった。
思えば、「風雨来記」という作品を追いかけてきた割に、「風」のイメージにばかり注目して「雨」の要素にはあまり気を払ってこなかった。
どうしても自分の中に「雨の日」というものへの苦手意識というか、行動範囲が狭まったり行動意欲が削がれることへの忌避感があったからだけど、今回の経験を経て「旅」の中の「雨」という要素の重要性についてあらためて気づかされた思いだ。
考えてみれば「風雨来記」というタイトルに含まれている「ふうらい」という言葉。
この原意は「風来坊」、つまりひとところにとどまらず旅から旅への生活をする人の意味だ。
だから、ただ旅人をテーマにした作品名をストレートに考えるならば「風来記」というタイトルもあり得ただろう。
だけど、そこに「雨」という言葉を加えて、「風雨来記」というタイトルは出来ている。
この「雨」には、「主人公=風」に対する「ヒロイン=水(雨)」という意味。
主人公や登場人物たちの「涙」。
あるいは雨によって新緑に塗り替えられた初夏の北海道の大自然のイメージなど色々な要素が含まれていた。
風と雨という言葉はこの作品に限らず、人生や旅において乗り越えるべき避けられない身近な障害として、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」とか「雨風しのげる場所」のようにセットで使われることも少なくない。
海外ではまた違った感覚があるかもしれないが、少なくとも日本の旅において「風」と「雨」は付き物なのだと思う。
風に運ばれる気ままな旅もあれば、雨に向き合うことで予想外に導かれる旅もある。
普段の自分なら選ばない選択。
思わぬ印象の変化。
自分自身の価値観のポジティブな変化。
それは、自分にとってはリリさん――母里ちありとの出会いで起こったことと地続きだ。
「普段の自分なら選ばない選択肢だから、あえてそんな道を選んでみる」
今回の旅は、リリさんについて今後考えて行く上でも得がたい経験になった。
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ここからは、自分が見つけた「予期せず出会った風景たち」の写真を並べて、ダイジェストで語ってみようと思う。
- 旅のはじめの花火大会
- 宵闇の展望台
- 霧の山城
- 山に包まれた棚田
- 1300年前からこのかたち。板のような山
- 渡りに船、土砂降りに温泉
- 地名:伊弉冊
- たたらを追いかけて奥出雲へ
- 炭酸巡りの果てに
- 普通の川岸に間欠泉!
- 宵闇にまぎれて野湯に入浴
- 赤名高原いろいろ
- 山に呼ばれた……のか?
- 最高の温泉
- そのとき一番近い夕日の名所へ
- 出雲大社の隣山
- ついに発見した「真名井の清水」
- 夏の神在
- 赤いトンネルをくぐって!
- 最初にして最古であり最後にして最大
- 夕日に追われて/誘われて
- なんとなく空港
- 古墳公園の実物大古墳模型!
- 「おお!」と思わず声が出た!
- バイクだから見つけた「イベント」
- やっぱり夕日に誘われて
- 最終日の最高の朝焼け
- 意宇へ
- 京都へ帰りながら寄り道
- 帰り道
旅のはじめの花火大会
雨予報で早めに決めたキャンプ地のそばで、ちょうど花火大会が始まった。

宵闇の展望台
雨で一日停滞。午後、テントから抜け出して、歩いて行けるところを散策している中で見つけた展望台


霧の山城
天気予報とにらめっこしながらルートを変えまくった結果、立ち寄った戦国時代の山城。


山に包まれた棚田
今夜泊まるキャンプ場へ向けて走っていたとき「棚田→」と書かれた小さな看板に誘われてここへ。細い山道からいきなり目の前に広大な棚田が広がった



1300年前からこのかたち。板のような山
偶然遭遇した、板壁のような山。風土記に記載があり当時からこの形。左右どちらも崖で落ちたら数十メートル下まで真っ逆さま。

渡りに船、土砂降りに温泉
強烈な土砂降りで停滞を余儀なくされたとき、運命的にちょうど目の前にあった温泉。源泉掛け流しで400円。風土記にも記載があるとても古い温泉地だと後から知る

地名:伊弉冊
たまたま見つけた「伊弉冊」という名前の集落。全国でも珍しい、神様の名前と同じ地名。イザナミの陵墓とされる比婆山(広島との県境)も近い。




たたらを追いかけて奥出雲へ
山奥に突如広がるたたら長者の旧屋敷。前知識なしで、偶然が重なってたどりついた






炭酸巡りの果てに
たまたま通りがかったラムネ温泉。近くには今も炭酸の源泉が沸いていた。少し前ウィルキンソンや三ツ矢サイダーの炭酸源泉巡りをしたのだが、ここでついに、生の炭酸源泉を口にした。



普通の川岸に間欠泉!
ルート上に見つけた謎の間欠泉。このあたりは温泉だらけだった!


宵闇にまぎれて野湯に入浴
「酒谷の野湯」という名前に誘われて寄り道





赤名高原いろいろ
名前も知らず、期せずして訪れた広島との県境「赤名高原」。


前日まで全く知らなかったスポット「赤名湿地」





湿地へ行く途中に看板を見つけて、なんだか気になってついつい登ってしまった瀬戸山城


山に呼ばれた……のか?
今回は訪れる気は全く無かったのになぜかたどりついて登っていた三瓶山



最高の温泉
三瓶山へ行ってルートが逸れたおかげで、遂に行けた温泉津温泉

去年の北海道旅で訪れた道北の「豊冨温泉」が最高すぎる温泉だったんだけど、そこで島根の温泉津温泉も最高だという情報を知って以来、行きたいと思っていた。
が、今回はルート的に行けないだろうとも思っていた。


ルートが逸れたおかげで、海水浴まで楽しめた。こんなこともあろうかと水着を持ってきていてよかった






そのとき一番近い夕日の名所へ
夕暮れが迫ってきたので一番近い夕日の名所へ。そこは……


その流れで、日が暮れた後の出雲大社前を歩いた。


道路を走っていて見つけたヤマタノオロチ型水汲み場


出雲バイパス近くで出会った大国主の像。一定間隔毎にスサノオからシロウサギやワニ、スセリヒメまで出雲神話の登場人物たちが道ばたに並んでいる

出雲大社の隣山
三瓶山の山頂で出会った登山家のお姉さんにおすすめされた「出雲弥山」に朝イチで登ってみた


出雲大社は島根でも人気・知名度ともに一番人気の超有名スポットだけど。
そのすぐ隣の山に登る事ができて、こんな景色が広がっていることを知っている人はほとんどいないのだ。
自分もつい数日前までそうだった。
後日詳しく書くつもりだけど、出雲大社と直線距離で1~2キロの場所にあるにも関わらず、この山を登山していると山中では出雲大社の気配を全く感じない。
「ここはあくまで出雲大社とは別の神域です」といった雰囲気があるというか。
出雲平野が一望でき、稲佐の浜や三瓶山など神話に関する有名スポットは見えるのに、ちょうど出雲大社境内だけが隣山に隠れて見えない。
出雲国風土記にも「御埼山」という名前で記述はあるが、この弥山のことではないとする説もあるそうで、出雲におけるこの山の立ち位置はなかなか不思議だ。
単に登山して面白いだけじゃなく、色々な想像も捗る非常に興味深い山だった。
今後出雲に来るたびに登るつもりだ。



ついに発見した「真名井の清水」
古墳時代以前の古代の神社は、湧き水のある場所に建っていることが多い。
というか、湧き水がある場所が神社になっていったケースが多いんだと思う。
ここは、出雲大社の境外、数百メートル東にある湧水場「真名井」。
もしかしたら、元々の出雲大社はここにあったのかもしれない。



夏の神在
ぜんざいの語源は諸説あるが、候補のひとつに「神在」がある。
毎年11月=神無月は、全国の神様が出雲へ旅に出るので「神無月」だが、出雲では逆に神様が大勢いらっしゃっているので「神在月」という。
この「神在」の時期に振る舞ったのが「神在餅」であり、後に「ぜんざいもち」となった……という。
出雲ではお正月のお雑煮として「ぜんざい」を食べる地域があるほど地域に根ざした名物であるものの、自分が訪れるのはいつも夏。
ぜんざいを食べる機会はないものと思っていた。
が、なんとなく出雲大社前にある「ご縁横丁」に立ち寄ったら……



赤いトンネルをくぐって!
偶然、ルート上に、いつか行きたかった神社があることに気づいた。ここにあったのか!」





最初にして最古であり最後にして最大

出雲に独特の、原始古墳(弥生時代の墳丘墓)。
外見から「四隅突出型墳丘墓」と呼ぶ。
この「四隅突出型」には面白い特徴がある。
たとえば、この形が見られるのは、山陰と北陸だけに限られていること。
それは、出雲神話で登場する出雲の勢力図とぴったり重なる範囲であるのでつい神話とひもづけて考えてしまう。
ただ、今回訪れてさらに興味深い情報を聞いた。
「この西谷という土地ではじめて四隅突出型が発見、命名されたこと」
「最古の四隅突出型墳丘墓がここで見つかった」
「最大の四隅突出型墳丘墓もここで見つかった」
「最後の四隅突出型墳丘墓もここで見つかった」
ここで始まって、ここで終わったのだ。
いったいなぜ???
考察はまた後日機会をあらためて。


先ほどの墳墓群に併設されている資料館の係員さんに教えて貰って……




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この古墳群に葬られたのは、四隅突出型に葬られていた王達の末裔なのか、それとも全く無関係の一族なのか。
出雲の古代については分かっていないことだらけだ。
夕日に追われて/誘われて


なんとなく空港
朝イチ、出雲平野を走っていて広々とした道路が気持ちいいなと思っていたら、いつの間にか空港のそばにきていた。









古墳公園の実物大古墳模型!

宍道湖を望む丘の上、巨大な古墳がたたずんでいる。
これは本物ではなく、復元模型。
すぐ近くにある新興住宅地造成中に発見された古墳を、実物大で再現している。
ただ、この復元模型には大きな意義がある。


日本は気候が温暖なため、古墳はすぐに草木の緑に覆われてしまう。
古墳と言えば緑の小山のような姿を思い浮かべる人がほとんどだろう。
が、本来作られた当時の古墳はこのように石で覆われた建造物だったのだ。
そして、こうした巨大な石像物を小高い丘の上に築く意味もはっきり見えてくる。
正面に見える宍道湖。
あの宍道湖からも、こちらの古墳がはっきり見えるのだ。
湖上を往き来する者達に、この地域の王の威光を示すランドマーク。
ここに巨大な古墳が築かれた意図がはっきりとイメージできる、良い展示だった。

そこから数百メートルくらい湖側に進んだところにも面白いものが。



「おお!」と思わず声が出た!
先ほどの遺跡から松江のルート上にあった、名前だけは前々から知っている「佐太神社」。
立ち寄ってみたら、思わず声が出てしまった。
ひとめで「これはすごい」と思ってしまう雰囲気があった。
言葉にするのが難しいけれど、空間の圧縮感というか……
奥行きが消えて、背後の山が「後ろ」ではなく「上へ」伸びているように見えたというか。
オカルティックなものともちょっと違って、思わぬところで出会った不思議な自然物――巨大な岩だとか、樹木だとか――に畏敬の念を抱く、あの感覚に近かった。
ああ、すごい。



バイクだから見つけた「イベント」
3度目の島根旅、最終日前日となってはじめて、松江市街にやってきた。
バイク駐輪場を探していると、松江城の城内に無料の駐輪場があったのでお城へやってきた。
……すると、駐輪場から見えるお城から雲が噴き出していた。
なんだありゃ、と急いで近くに駆け寄ってみる。




やっぱり夕日に誘われて
この日も夕日が綺麗に見えそうだったので――宍道湖畔へやってきた。


夕日を見送る人達。みんな笑顔で、幸せそうだ。
自分もなんだかふわふわした気持ちになってしまう。
名も顔も知らない大勢のひとたちと眺める夕日も、いいものだと思った。




再び松江城に戻ってきて、雲海イベントのチケットを買って城内へ。


幻想的であった。
ただ、なんというか。
数日前、安来の月山富田山城で雨雲に包まれて視界が悪かったのを思い出した。
「雲海に浮かぶ松江城を見るイベント」というより、「松江城と一緒に雲海に入り込むイベント」という感じが正確だろうか。
はじめての試みということなので、次回以降があったらきっとどんどん改良されていくだろう。
最終日の最高の朝焼け

意宇へ
出雲国風土記が書かれた頃の、出雲の中心地「意宇」。
旅の最終日はここから始めることにした。
国府跡の駐車場にバイクを止めて意宇を歩きながらスマホで地図を見たら、国府跡のすぐそばに古墳群が集中しているらしい。
ちょっと見ていくか-、と気軽な気持ちで寄り道してみた。
歩き始めてすぐ、背丈ほどのびた雑草が道を隠す。
なんとなく嫌な予感がしながら草をかきわけると、道は山の中に伸びていた。
結果からいうと、小高い山をふたつくらい登り、森の中をがっつり抜ける、ちょっとした軽登山コースだった。
道はしっかりしていて特別な装備が必要なものではないけれど範囲が大きく、バイクの元に戻ってきたときには2時間以上が過ぎていた。
最終日もやっぱり、思ってもみない展開から始まったのだった。




この旅でもっとも思ってもいなかったエピソードといえば、最たるものがこれかもしれない。
「1500年前の古代の遺跡の石室の中を探索したら、コウモリの巣になっていた」
子供のころ、そんな探検を想像したものだが、ここでいきなり実現した。
それだけ言葉にするとロマンだけど、現実としては、石室内にはどこからか染みだしたらしく水たまりが出来ており、そこにコウモリのフンが堆積しているとは知らず思い切り踏み込んでしまってその水が飛び散って色んなところにかかるという非常に精神がやられる失敗があった。
特にカメラの三脚にがっつりかかったのはきつすぎて。
アルコール入りのウエットティッシュで何度も拭いたけど、それでもなんとなく嫌な気分が残り続けた。
が、後々それがまた別の発見につながったりもするのだから、面白いものである。
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付近には横穴墓だけではなく古墳も多数存在する。
山頂にもひとつ。
とは言ってもすでに盛土は消失して、石室のみになっていた。
水が溜まった船のようだ。


ここの古墳群の中にひとつだけ、ずっと昔の時代……弥生時代の「四隅突出型墳丘墓」が発見されている。
これが意味するところを考えると非常に想像が膨らむんけれど、この考察についても後々にとっておこう。
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ここの古墳群巡りコースはけっこう難易度が高いというか、初心者には厳しいというか、なかなかワイルドなスポットだった。
登山愛好家が作る「初心者にも優しい登山道」とは違い、普段から道なき山や森に入って遺跡を探したり発掘したりするフィールドワーカー目線のコースという感じ。
同じくらいの道幅の分かれ道に何の表示もなかったり、いきなり道が消えて林の中に放り出されたり(実際にはその場所全体が古墳群のまっただ中つまり目的地なのだが)と、普通の登山道のつもりで歩くと、訪れる人が少ないことも相まってちょっと危うい気がした。

道の脇にぽつんとたたずむ杜。
これは「意宇の杜」。意宇の語源となった場所と言われている。
ヤツカミズオミツヌが色々なところから出雲の土地を引っ張ってきてひとしきり国ができたので最後にここに杖を置いて「おえ」と言った。
これが意宇の由来だ――と、出雲国風土記に記されている。
「おえ」と言ったなら地名も「おえ」になるのではと思うが「意宇」なのは、動詞と名詞の違いだろうか。

個人的に何より面白く感じるのは、この小さな「意宇の杜」、元々はもっと大きい森があったのだろうな……と思いきや、出雲国風土記が書かれた時点でもう小さな杜だったこと。
所謂、意宇社者、郡家東北辺、田中在塾、是也。圍八歩許。其上有一巌。
いわゆる 「意宇の杜」とは 群家(国府にあった施設)の東北の田んぼの中にある小さな盛り上がり、これのことである。周囲は八歩ほど、その上に木が茂っている。
出雲国風土記
神話の旧跡は神社として祀られることも多いけれど、「神社」という体裁が生まれるより昔の空気というか、古代の信仰のかたち、原風景を感じられるこういう場所はとても魅力だと思う。
付近には、「意宇の社」に該当する杜が複数ある。
風土記時代の群家が正確にどこにあったか分からないので、当時の意宇の杜の正確な位置もまた、判明していないのだ。
とはいえ「だいたいこのへん」にあったことは間違いない。
そして「だいたいこんな感じ」だったのも確かだろう。


京都へ帰りながら寄り道
京都方面へ戻りつつ寄れるところに寄っていこう、そんな流れで松江城周辺を散策。


松江城近辺を歩く学生時代のリリさん――を想像すると、なんか意外と馴染まないというか、イメージが湧かない。
なんでそう思うんだろうな。
京都に住んでる京都人の9割が金閣寺や清水寺に行ったことがないのと同じような理由なのかな。
学生時代のリリさんがたとえば松江に買い物とかで来たとしても、用があるのは大型店舗の多い市街地で、特に松江城を散策する理由もないだろうし。
じゃあ、今のリリさんならどうだろう。
あらためて想像してみよう。
とっても、すてきだ。


帰り道










以下、執筆中
数日以内に追記します。
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