モネの池の、名前のない神さま【風雨来記4を追いかけて・岐阜旅行記2】

2022岐阜の旅

この記事は、2022年夏に三度に渡って巡った岐阜の旅の記録②です。
 その場所を訪れて身をもって感じたこと、その場所について調べて考え結びついたことなど、思いつくままに書いていきます。特にキャプション表記がない写真・動画・イラストは投稿主が撮影・作成したものです。






■前回








モネの池。
現地を訪れると、看板や案内板ではその名前の前に必ずと言っていいほど「通称」という言葉がついている。

「モネの池」でもう全国的に有名になっちゃったんだから、それを正式名称にしてもいいんじゃないかと言う気もするけど、この『通称!』の主張っぷりからは、何かしら強い意志を感じる。




地元ではあくまでも「名もなき池」とか「下根道(住所名)の池」、あるいは単に「神社の池」と呼ぶらしい。

いや、これはあるいはもしかしたら、池の主である根道神社の神さまが「名前がない(詳細がわからない)」ということに関係するのかもしれない。

「名もなきこと」自体に、なんらかの意味がある……とか?
……考え過ぎだろうか。






名もなき池


朝六時に京都を出発、バイクでひた走り、岐阜関市の名もなき池「通称・モネの池」の駐車場に到着したのは午後一時になろうかという頃だった。

山間の道が急に少し開けて、平地になっている。
片側は駐車場で、もう片側には田んぼと、その向こうに低い森と鳥居が見えた。




駐車場には車やバイクがところ狭しと停まっていて、大勢の人が行き交っていた。
道ばたに「名もなき池」の文字が見える。





道の先、人が集まってるところがモネの池かな?!

わくわくドキドキ、テンションが上がりながら自分もバイクを停めて、道の先へ向かう。


リリさんとの思い出の場所。  風雨来記4/2021 Nippon Ichi Software, inc./FOG













池をのぞき込む。



「おー!」
思わず声が出た。


夏空の下、ものすごくコントラストの高い風景が目に飛び込んでくる。
こんもりした山の裾に、透き通った水をたたえた池が長方形に伸びていた。





――感激だった。
これまでディスプレイの中で何度も何度も繰り返し見た、リリさんとの思い出の風景がそこにあった。
はじめて訪れるのに、よく見知っている不思議な感覚。

ふわふわした気持ちで池の周囲を散策する。



池のサイズは想像よりも大きいような、小さいような。
神社の池としてはやや大きめのサイズかも?

少なくとも団体客が数十人単位でやってきていても、窮屈な感じはしなかった。
端から端まで歩いて30秒くらいの横長の池だ。




確かに写真映えする場所だと思ったと同時に、決して写真でしか映えないガッカリポイントなどではない。


水の綺麗さや睡蓮、橋の雰囲気はもちろん、頭上一面の濃い青空や眼前まで迫る山裾の深い緑色、夏を主張しまくっているミンミンゼミに包まれながら見る池はとても雰囲気がよく、期待値以上の美しさだった。











ところで、ゲーム内で絶妙なところに看板があるせいで気になって仕方なかった「笹舟巻」の文字。



風雨来記4/2021 Nippon Ichi Software, inc./FOG




文字通り、笹舟で巻いたおもちのお菓子らしい。






いわゆる「ちまき」だ。
ほどよい甘さと、弾力が強めの食感と口溶けのよさ、それに笹の香りも相まって美味しかった。




周囲の風景をのんびり眺める。
山奥ではあるけれど、ぽっかり開けた場所なので開放感があった。

道ばたの田んぼには鴨(アイガモ?)の一団。
本当にのどかな風景だ。







モネの池を端から端まで歩いてみた。

こうして見るとけっこう広い。



山に囲まれているからか、人が多くても不思議と落ち着く場所だった。





名もなき神さま



さて、池の横にある参道から、神社へお参りすることにした。
なんといってもモネの池は、観光地である以前に、この「根道神社」の境内池なのだ。


神社に神泉、小さな池があるのはよくあることだ。
むしろ、「湧水そのもの」を神様として祀ったことを起源とする神社も少なくない。


モネの池と根道神社の関係がどういうケースかは分からないが、10年ほど前までは「ただの神社の池」だったのが、ばつぐんに綺麗な湧き水と睡蓮、誰かが捨てた鯉がたまたま写真映えしたこと、そこにSNSの発達などが相まって、あっという間に全国的知名度を得るようになった。

そこには誰かがつけた「モネの池」というわかりやすい通称も一役買っているだろう。








画面左に見えるのが「モネの池」



ここ根道神社は、この地域に古くからあった大小様々なお社や祠を、明治時代にお上の命令でひとつに合祀して建てられた村社だ。
合体する前、個々の社の歴史はもっと古く、少なくとも奈良時代以前にさかのぼる。

あるいは、縄文由来の信仰に関係する社もあるかもしれない。
この地域は、平安時代あたりまで朝廷と対立していた土着民族オニの伝承が残っているからだ。




根道神社の御祭神

根道大神(ねみちおおかみ)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
大雷神(おおいかづちのかみ)
大山祇神(おおやまずみのかみ)
金山比古神(かなやまびこのかみ)

根道神社に祀られている神様を見ると、山の神と関わり深いことが分かる。

美濃と越を結ぶ地域という土地柄から、平安時代から白山信仰が盛んだった記録があるそうだ。
イザナミは白山信仰の主祭神で、大山祇神も金山比古神も大雷神もすべて、イザナミから生じた神さまだ。
ほぼ、「イザナミファミリー」ラインナップと言っていいかもしれない。


※以下、日本書紀での記述
 大山祇神…イザナミが生んだカグツチの惨殺死体から生じた
 金山比古神…イザナミの死に際の吐瀉物から生じた
 大雷神…イザナミの死体の頭に生じた神




ただ、このあたりは江戸時代以前と明治時代以降で祀られている神様が変わっている可能性がある。
例えば単に「地域の山の神」を祀っていたのが→神道の「大山祇神」としてまとめられたり、廃仏毀釈の影響で仏教系の神さまが神道の神さまに変更されたり。

なので現在祀られている神さまだけを見て過去を想像することは早計だ。
これについての考察は一旦スルーしよう。




そんな中で、神社の名前にもなっている「根道大神」については村史において公式に「祭神不詳」「詳細不明の神」と記録されている。
少なくとも明治の時点ではもう何の神を祀っているか「不詳」とされていて、その後も不明のまま現代に至っている、珍しいケース。
「根道」という言葉をそのまま考えるなら、根の国への道、つまり生と死の間を司る神(白山信仰のイザナミやククリヒメが相当だろうか)というふうにも受け取れるけれど……


あえて「詳細不明」のまま、ただ純粋な「土地の守り神さま」として現代まで伝えられてきているというのは裏を返せば、「詳細不明」にすることで逆に、「地元の神さまを守った」とも言えるのかもしれない。

たとえばあえて詳細不明の「名もなき神」にしたことで、お上の事情で他の何らかの神さまにすげ替えられることなく、この地域だけの守り神として祀り続けることができた、のかも。


もしかしたらこの池が、「モネの池」という通称がこれだけポピュラーになってもなお、地元では「名もなき池」と呼ばれ続けているのは、その池の主である根道神社に祀られているのが「名もなき神」であるからなのかもしれない。





昼間でも木々が深く薄暗いからか、ヒグラシがたくさん鳴いていた。


前回の記事で立ち寄った、縄文時代の住居遺跡である「九合洞窟」からここまでは川や尾根を伝って10キロほど。
根道神社の起源とも、何かしらつながりがあったっておかしくはない距離だ。





山深く、狭い谷間の道の途上でぽっかり平けたこの場所は、もしかしたら古代の人にとっても重要な拠点のひとつだったのかもしれない。


そんな古代からのつながりを考えるときに、今、時を経てSNSというネットワークの道でによって多くの人を呼び込んでいるというのも不思議な縁を感じる。








「モネの池」の美しい水は、根道神社の背後にある山、「高賀山」の伏流水だ。
高賀山は日本のちょうど真ん中に位置する山で、その山頂には、縄文時代に太陽を観測していたと思われる巨岩遺跡が残されている。

いやそれよりも、「『妖魔さるとらへび退治』の舞台となった場所」と言ったほうが、風雨来記4をプレイした人にはピンと来るかもしれない。

矢納ヶ渕/星宮神社 風雨来記4オープニングより  風雨来記4/2021 Nippon Ichi Software, inc./FOG





ゲーム内では粥川の「星宮神社」でこの伝承の話を聞くことができる。
星宮神社は、風雨来記4に登場する中でも屈指の「美しい水辺」スポットだ。
立地的には、モネの池も星宮神社も高賀山から3キロ圏内にあって、同じ伝承を共有している。



モネの池しかり、川浦渓谷しかり、粥川谷の矢納ヶ渕しかり、この地域はとにかく水の色が驚く程綺麗だ。



この写真はモネの池のそばを流れる板取川を撮ったもので、特に加工したわけじゃなく、肉眼でも実際にこんな感じで見えていた。

岐阜の各地を巡った中でも、この地域(関市北部の洞戸・板取川流域や高賀山周辺)の「水の色」は、他の場所と比べても明らかに「緑」や「青」の色彩が濃く見えた。




ここまで美しく見えるのは、たぶん地質の影響によるものだろう。
この地域はその筋では有名な珍しい岩石の宝庫で、現代でも水晶やガーネットなど様々な鉱物や宝石が採取できる土地として知られているそうだ。

宝石の美しさも、水の色の美しさも原理は同じで、光の反射や屈折率によって生じる。
川の水にとけ込んでいる無数の、この流域特有の多様な鉱物成分によって、こんな美しい色合いがあらわれるのだろう。


「希少鉱物産出地」であることは平安時代以前から朝廷にも認識されていたと考えられ、さらに根道神社のあるあたりは立地的に、奈良時代以前より白山信仰のメッカである北陸と都とを結ぶ重要なルートの中継地点でもあった。

このことから件の「藤原氏による『さるとらへび退治』伝承」も元を辿れば、この鉱物資源や街道の通行権をめぐった「朝廷から派遣された軍と縄文時代からの土着部族(まつろわぬ民)との争いの神話化」ではないかとする説もある。
個人的にはなかなか説得力の感じられる説だと思っている。

(なお、「さるとらへび」は平安以降「鵺」が流行った際に話が後付けされたもので、元々は「牛のような角を持つ巨大な鬼」退治の話と「キジのような声で鳴く怪鳥」退治の話が伝わっていたとも言われる)


今回の旅では、高賀山や星宮神社を訪れることはできなかったが、また機会をあらためてこれらの伝承の地を探訪してみたいと思う。







岐阜市街へ

モネの池を後にして、岐阜市街へ向かう。
日帰り予定のためこのまま岐路につくつもりだったが、途中できれば見て回りたい場所がある。
岐阜市内の「金華山」と、「親子三社」だ。


本当にありえないくらい水が綺麗!
そこら中で噴き出し、あふれている湧き水。




空・山・水の色彩が本当に綺麗で、運転しながら感嘆のため息が出っぱなしだった。
絵に描いたような山間の夏景色。










モネの池から岐阜市内までは30キロ強、途中道が少し渋滞していたもののおおむね一時間半ほどで、てっぺんに岐阜城の建つ「金華山」が見えてきた。



遠くから見てもやたら目立つ岐阜城。









次回につづく


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