iPhoneのカメラと京都銘水巡りと

京都が京都になる前の旅


機種変更

機種変更からから二年。



二年前、カメラ性能の高さに惹かれてiPhone13proを選んで、2022年の岐阜の旅ではメインカメラとして使い通した。
当時の旅の写真はほぼすべてiPhone13proでの撮影だ。


2023年にPENTAXのデジタル一眼レフK-1MarkⅡを購入してからはそちらが旅のメインカメラになったけれど、スマホの、いつも身につけているという利点はとても大きく、ふとした日常や思わぬ絶景との出会いを切り取ったり記録したり相変わらず活躍し続けてくれた。


特に問題や不満を感じたこともなかったので、このまま変更せずに使い続けていくつもりだったけど色々思案した末、結局最新機種のうち画面サイズの大きいiPhone15ProMaxに変更した。




これに決めた理由は大きく分けてみっつ。

ひとつは望遠カメラ性能の進化。
特に光学5倍ズームがついて、望遠時の画質がばつぐんに向上した。

個人的に、以前の13proカメラで一番ネックに感じていたのがズーム画質の低さだったので、これはかなり大きなポイントだった。
たとえば、山を歩いていて遠くに珍しい動物や鳥を見つけたとき、せっかく撮ったのに詳細が潰れて何を撮ったのかよく分からない……というような場面が減るのがありがたい。


iPhone15ProMax 光学5倍ズームで撮った愛宕山。もうスマホの写真とは思えない





ふたつめがバッテリーの保ち。

ProMaxはProに比べてサイズが大きく、それに伴って内蔵バッテリーもかなり大容量になっている。
長期の旅のときは写真を撮りまくったり地図や天気を確認したり、調べ物をしたりとスマホを使う頻度が増す。モバイルバッテリーは持っているとはいえ、本体バッテリーがいくらあっても困ることはない。


みっつめは単純に画面サイズが大きいこと。
地図アプリを使うときなどには見やすくて便利だし、作曲アプリなどの操作時も使いやすい。
電子書籍を読むことも増えたので、かさばるというデメリット以上にメリットを大きく感じた。



機種変更に踏み切った決め手としては、それくらいだ。

逆に言えば、それ以外の面では前の機種13Proにも全然不満を感じることはなかった。
実際、バッテリーも画面サイズもそこまで気にならず、望遠カメラの弱さ以外では性能的にも容量的にも充分以上だと思っていた。
少し前までは、このまま壊れるまで機種変更せずに使い続けようと考えていたくらいだ。


ともあれ交換したからには、これからは新しいiPhoneでまた色々なものを撮っていこうと思う。




水を巡る

松尾大社の社殿裏にある湧水、亀の井で水をいただいてきた。
ここは駐車場から距離がある上目立つ看板などもない、知る人ぞ知る隠れ名水スポットだ。


以前の記事でも書いたけれど、昨年胃腸の調子を長く崩していたときに出雲大神宮の湧き水を飲んで急に調子がよくなったことをきっかけに、「湧き水巡り」という趣味が加わった。

現在は健康のためというより、単純に「美味しいから」続けている部分が大きくなっている。



冷たい状態だと、「美味しい湧水」と「ミネラルウォーター」との味の違いはあまり分かりづらい(のどごしが違うかな、という感じ)けれど、お白湯やお茶、コーヒー、ココアなどあっためて飲んだときには、やっぱりはっきり、全然違う。
明らかに「あ、美味しい」と感じるくらいに違うのだ。

口当たりがまるく、後口がほのかに甘い。
自分はそれほど味覚に鋭いほうじゃないのに、こんなに違うのかと、けっこうびっくりした。




水を「甘い」と表現するのは、古来からとてもポピュラーだ。
「甘露水」は砂糖水のことだけでなく、「美味しい水」を差す語句でもある。

日本各地に、そのまま「甘露水」と名付けられた湧水スポットもあるほどで、特に北海道のニセコ甘露水は有名だ。


風雨来記4の夜叉ヶ池にも「甘い湧水」のエピソードがあった。主人公が語ったように、天然水には糖など含まれているわけじゃない。にも関わらず、なぜ甘いと感じるんだろうか。


ネットでは硬度やPH値が関係しているとある。
たとえば硬水よりも軟水の方が、甘いと感じる傾向にあるそうだ。
でも、なぜそうなのか。なぜ、軟水の方が甘いと感じられるのか。


色々な解釈はできるだろうが、自分がふと考えたのは、たとえば人間の舌は、特定の水質や温度の水には甘みを感じるようにできているのかもしれない。
その水の中に体に必要なミネラルやイオンが含まれていると、それをもっと摂取すべく、唾液などの口内の成分と微量に反応して「甘い」と意識させる……とか。


実際どうなんだろうな。
どこかで研究している人もいそうな気がする。
また調べてみよう。








京都は周囲を山々に囲まれているため湧水に非常に恵まれている土地で、意識し始めて驚いたのだが、ほんとうに至るところに名水・湧水がある。
意外なところでは京都一の繁華街・四条河原町付近という町のど真ん中でも、未だに飲用できる銘水が湧き出続けているほどだ。

よく考えればこうして美味しい水が豊富な土地だったからこそ都が作られ、多くの人口を維持できたんだなぁと気付かされる。







そういえば、風雨来記4作中で、民俗学研究をしている大学院生鵜瀬さんが養老の菊水泉を訪れた際に、

風雨来記4




「ものすごく美味しい水が湧き出る場所」は古代の人にとってそのこと自体が延命長寿の伝説や信仰になるほど大切だったというような話を聞かせてくれた。

山から湧き出した清涼な水を摂取するということ。
それは科学的に衛生面や健康面を考えたときにも、寄生虫汚染や病気のリスクを減らすという意味で実際正しい。


特に、土地開発は汚染と隣り合わせだ。
下水が発達した現代でさえ、生活域に近い井戸水で人由来の大腸菌などが検出されるのが珍しくない。

人の少なかった縄文の頃ならいざ知らず、人が増え、人口密度も上がった弥生時代以降は人の暮らしに近い低地の水はどうしても、大なり小なり汚染のリスクがつきまとっただろう。
必然的に、人里離れた場所や山麓、あるいは地形的に周囲からの汚染を受けにくい台地の水源などが特別視、神格化されるようになっていったんじゃないだろうか。




古い神社に行くと、「水」はつきものだ。

京都の、平安初期以前からある有名神社にはほとんどと言って差し支えないくらいの確率で、境内に古くからの水源や湧水が存在する(あるいはかつて存在した)。中には水が湧いたことそのものをきっかけに成立した神社も少なくない。
そしてそのほとんどで、今も境内の水を生のまま飲用できる。そうでない場合も、加熱して料理に使われていたりする。


松尾大社(亀の井)、蚕の社(元糺の池)、下鴨神社(糺の池)、貴船神社(貴船川源流湧水)、愛宕神社(山麓水)、伏見稲荷(山内神水)、御香宮(御香水が湧いたことから創建)、藤森神社(不二の水)、石清水八幡宮(現在は消失)……

挙げきれないほどいっぱい、いっぱいだ。

ちなみに、これは京都に限らない。伊勢神宮も出雲大社も境内に豊富な水源を持っている。



水が先か、神社が先か。
おそらく、基本的に「水が先」のパターンが多いように思う。



たとえば古代、人による開発や生活排水で平地の水が汚染されていき、飲用に適さなくなってきた――そのために清浄な水が湧き出る場所が守られ、特別視され、権力者の管理する土地となり、やがて神道の成立とともに神社として祀るようになった――というような流れ、経緯があったんじゃないかと想像する。


とにかく、「水」と「古い神社」は切っても切り離せない関係なのだ。








亀の井を訪れたときに出会ったおばさんは自分と同じく水を汲みにきたそうで、ここと、上賀茂神社の水を代わる代わるいただきに訪れるらしい。

上賀茂神社に湧水があるというのは初耳で驚いた。
以前何度か訪れたことはあるけれど、意識したこともなかった。


上賀茂神社境内にある御神水も松尾大社の水と同じく、とても美味しいとの話だった。

ただ、世界遺産ということもあって観光客がとにかく多いため、水を汲みたいなら早朝などの早い時間帯がおすすめとのこと。

これは、近々行ってみなくては……







京都の古い記録では、古墳時代終わり頃、「松尾大社」の秦氏と、「賀茂神社」の賀茂氏の間で婚姻による親戚関係が結ばれている。
その間に産まれた子の一族が南の伏見に移動し、奈良時代になって「伏見稲荷」を建てている。



そしてそのすべてで祖神として「玉依姫」が祀られている。

玉依姫は海や水を司る神で、役職名とも言われている。(つまり玉依姫と呼ばれる役職を持った女性の総称、という考え方)


賀茂神社・松尾大社・伏見稲荷で語られる玉依姫は特に、「加茂玉依姫」とも呼ばれる。

彼女は、大山咋神(松尾大社の祭神)との間に子を産んだとされ、この子供が上賀茂神社に祀られる神「賀茂別雷大神」となった。
おそらく古墳時代中期~後期あたりの話だろう。

その数代あとの子孫が、伏見稲荷を創建した秦伊侶具に繋がる。




賀茂、松尾、稲荷。
京都を代表する古社で、水を司る女神が祖神として重要視されていて、歴史としても神話としてもどこかしらつながっている。
これはとても興味深い。

ひょんなことから始まった自分の「湧水巡り」に、おぼろげながら新たなテーマが形作られてきた気がする。





美味しくて、知識欲も満たされるなんて最高だ。
今年もまた、色々な銘水を追いかけてみよう。




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