令和の最初の頃に、「クソデカ羅生門」というパロディ文学が話題になったことがあった。
匿名日記サイト発祥のこのパロディは、タイトル通り芥川龍之介の原作を踏襲しつつ、作中に出てくる固有名詞や数値、単位を「クソデカ」にスケールアップすることで、話の大枠は全く同じなのに読み味が全く違うという、新しい読書体験を生み出した。
今日は、そんな話を思い出す出来事があった。
バイクで移動中に、天気が良かったこともあってふと普段とは違う道を通ってみようと少し遠回りしたときのこと。
京都駅の南側、有名観光地である「東寺」のすぐそばの道路で信号待ちしていた時、ふと道路脇の公園に目がとまった。

「羅城門跡」の字。
「京都駅の近くに羅城門の跡地がある」という知識はもっていたが、まさかこんな道ばたに、とびっくりした。
「羅生門」と「羅城門」は同じもの。
平安京や平城京の南にある「正門」を指す。
平安時代には「羅城門」という名前だったものが、時代と共にいつしか「羅生門」と呼ばれるようになった。
ここの道は、最近は滅多に使わなくなったとはいえ、自分にとっては過去に何十回、もしかしたら何百回も通った道だった。
高確率で赤信号に差しかかるポイントだし、こんなにはっきり見えるところに「羅城門跡」と書かれているんだから、普通に気づけたはずの場所だ。
なのに、これまでまーったく意識にのぼらなかった。
たぶんリリさんと出会う前の自分なら一生気づかないまま、そもそも興味も持たないままだったと思う。
あらためて、日頃から自分にとっての「面白い」を見つけるためのアンテナを伸ばしておくことは大事だな、と思った。

見ての通り、周りは住宅街で、羅城門そのものは残っていない。
というか、平安京遷都のときに建てられて、たった20年で台風によって倒壊したことが記録に残っている。
その後再建されたものの、100年と保たずにまた嵐で倒壊し、そのまま放置されたらしい。
鎌倉時代にはすでに礎石しか残っていなかったとか。
今昔物語集に残る「羅生門」は、このわずかな期間の話だ。
倒壊する前にすでに荒廃しきっていたことがその記載からうかがい知れる。
羅城門の東西には、都を守護する「東寺」と「西寺」が建てられたが、「西寺」も羅城門と同じく倒壊、荒廃して早々と消滅している。
「東寺」が国宝を抱えつつ現在まで残っているのは奇跡的なことかもしれない。
平安京が建てられてから1200年以上たつが、羅城門があったのはそのうち最初の100年程度。
逆によく、そんな羅城門が「跡地」としてでも残され続けたなと感心する。
(「羅城門町」として地域の町名にも残っている)
長い歴史の中でほんの一瞬だけ存在した幻のような建物が、1000年近く前にすでにそれをネタにされていたような建物が、時を超えて令和の時代にネットミームとなってたくさんの現代人に面白がられたという事実が、ものすごく壮大かつめちゃくちゃに馬鹿馬鹿しくてとても面白い。
目の前の京都の風景に、天空までそびえるクソデカ羅生門をほんの少し想像して、一人笑ってしまった。
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