■前回
稲葉山(金華山)
モネの池についた時点で昼過ぎだった上、池周辺をのんびり散策していたこともあって、岐阜市内に入った頃にはすっかり日が傾いていた。
七月、日の長い時期とは言ってもこれから登下山し、さらに市内を探索する時間はあるだろうか。
すこし不安になりつつも行けるところまで行くの精神で、場合によっては日帰りを諦めて途中でキャンプすることも視野に入れながら金華山の麓へとバイクを走らせた。
ひときわ大きな川、長良川にかかる長良橋を越えると、目の前はもう金華山の麓だ。
この金華山は、市街地のど真ん中に「ドン!」という感じでそびえている。
(厳密には金華山というひとつの山ではなく、金華山を含めたいくつかの山の集合体だ)
標高320メートルほどの低山ではあるが周囲が大平野なので、その中にあってものすごく目立っていた。
このあたりを少し歩くだけでも、風雨来記4作中に登場した川原町や鵜飼の乗船場、陸閘、護国神社などのスポットに遭遇した。
ついひとつひとつゆっくり巡りたくなるが、今回はあくまでも前哨戦だ。
またあらためて訪れよう。
ネットでちら見した情報だと金華山の麓にある岐阜公園に、バイクが停められる駐輪スペースがあるらしい。
うろうろとあたりを探していると、岐阜公園の警備をしているおっちゃん達が詳しい場所を教えてくれた。
スペースもゆったり広いし、木陰になっていて、しかも無料。
すばらしい駐輪場だ。
ここにバイクを停めて、早速金華山を登ることにする。
このときはまだ、金華山については「岐阜城が建ってる山」というくらいの知識しかなかった。
とにかく眺めの良い展望台に登って、岐阜の景色を一望したい!
その一心で突き進んだ。
山頂を目指すために、今回選択肢はふたつある。
ひとつは徒歩。
もうひとつは、ロープウェイだ。
ロープウェイは15分間隔で運行しているようだ。
日暮が迫っている。
このあと、モネの池以上に訪れたかった「橿森神社」へも行くつもりなので、なるだけ早く登り、降りたい。
ロープウェイか、徒歩か。
地図と十数秒にらめっこして、決めた。
今、元気が有り余っている。
歩いて登ろう。
きっとその方が早い。
風雨来記4でも紹介されていたように、山上への登山道はいくつかのルートがある。
その中でも一番急な道「百曲り」が最短ルートでもあるようだ。
この百曲り登山道ならば、おそらく20分程度で山頂まで登れる……はず。
普通に生活感のある住宅街の裏側に、さりげない感じで登山道の入り口があった。
このルートは「百曲り」の名前通り、小さなジグザグを繰り返して最短距離で頂上に至る、急角度×急勾配のなかなか面白い道だった。
道は安全に配慮されて整備されていたが、市街地すぐそばの山道として考えるとかなりワイルドな雰囲気で、ところどころ両手を使って体を支えながらきつい傾斜を登る場面があった。
見る間に標高が上がっていき、都市の喧騒が下へ下へと遠ざかっていくのがなかなか面白い体験だ。
まるでエレベーターのよう。
エレベーターにしてはなかなかハードだけど。
そういえばこの山は、東京タワーとほぼ同じ高さだ。
木々の隙間から見える長良川の碧さが印象的だった。
市街地ど真ん中に流れる河がこんなに綺麗な土地も、なかなか少ないだろう。
15分ほどで山頂に着いた。テンションが上がっていたこともあってか体はまだまだ軽いが、汗だくになったのでまず水分補給をする。
飲み終えるとのんびりしている時間も惜しく、先に進んだ。
まず展望台、そのあと岐阜城天守閣を見に行くことにする。
展望台に上がる道も、結構急な階段が続く。
汗だくだけど、高揚感の方が強くて立ち止まっていられない。
早く絶景を味わいたい!
「おーっ!」と思わず声が出た。
視界が開けて、強い風が吹き抜けた。
柵の向こうには一面の青い世界が広がっている。
空の青が強すぎて、山も街も川もすべてが青みがかっているのだ。
超がつくほどの快晴だ!すごい!
吹き抜ける風と、鮮やかな空の青と、傾いて金色がかった太陽の光が入り混じった世界。
最高の時間。
汗も疲れも吹き飛んでいく。
写真を撮る。
展望台では、夜のビヤガーデンの準備中で、展望できる場所は半分くらいに縮小されていた。
金華山のチャート。
チャートは恐竜時代よりもっと昔の、海洋生物の化石地層だ。
ここでのチャートとの出会いは、後にいろいろな場所での発見につながっていく。
「つながっていく」というのは、比喩表現ではない。
文字通りこのチャート層を含んだ美濃-丹波帯コンプレックス※は地下を通って、自分の生まれ育った街にも、今住んでいる街にも同じ根でつながっていたのだ。
そんな偶然につい見えない何かの「縁」のようなものを感じてしまう。
※「コンプレックス」というのは、おおざっぱに言えば「複数の地層が合体した地質」のこと。
普通の地層はミルフィーユのように順番に積み重なっていくが、コンプレックスは様々な時代の地層が色々な理由でシャッフルされたりミックスされて形成される)
チャートは化石の一種でとても硬く、狩猟採集の道具=いわゆる石器の材料として非常に有用だったため、旧石器時代から縄文時代にかけてチャートの採れる地域には多くの人が集まった。
同時に風化しにくく、形が残りやすい。
そのためチャートで出来た山は、年月を経て浸食されていく周りの山よりもひときわ高く残り続け、その姿から神の宿る山として信仰される場合も多かった。
かつて稲葉山と呼ばれ、いなばの神を祀っていたこの金華山もそのひとつだ。
――なんとなく気になったもの、見かけたものが、あとから自分にとって大きな意味のあるものになる、という経験は人生を楽しく生きるための大きな宝物になっていく。
あらためていつもアンテナを伸ばしていよう、と思う。
山は下りの方がきつい。
ひざや足先、太ももなど色んなところに負担がかかる。
それでも日暮れが迫っている。
筋肉痛は家に帰ったあとの自分に放り投げて、先を急いだ。
下りは十分ちょっとで地上に到達した。
振り返れば、ついさっきまでそばにあった岐阜城がはるか高くにそびえていた。
こうしてみるとあらためてかなりの標高差だ。
岐阜公園に訪れていたひとたちも多くは帰宅したのだろう。
駐輪場はすっかりがらがらになっていた。
少しだけ一休みすると、バイクに乗って再出発。
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