名もなき場所でキミと。【風雨来記4二次小説】

母里ちあり


岐阜の旅から、さかのぼること6年。
20歳だった彼の、一か月に渡る北海道取材が終わりに近づいていたある日のこと。





【この記事は】
・「風雨来記4母里ちあり編」をモチーフにした二次創作小説及びイラストです。

<風雨来記4及び風雨来記3、風雨来記3prelude(エピソード・ゼロ)の一部ネタバレ・考察を含みます>
当サイト内に掲載している二次創作物について不都合等がある場合、ページ上部の問い合わせ欄よりご連絡ください。













序:ジェットコースターの路


夏。北海道。
今日は、道央の中富良野にある森林公園キャンプ場で朝を迎えた。

鋭明展にエントリーした北海道取材の旅も残り3日。
いよいよ大詰めだ。



ちょっとしたきっかけで知り合った『ギターのおっちゃん』の路上ライブに触発されて、昨日の記事は存外に筆がのった。
俺自身の熱意がうまく伝わったのか、読者からの反応も上々だ。

風雨来記3 Nippon Ichi Software, inc./FOG


俺との出会いがきっかけで作ったという曲、ブレークスルー・オン・ザ・ロード。

どうしようもないもんをぶっ壊せと言うメッセージ。
忘れるな。道を外れても、そこにはまだ道がある、続いているんだ、と、俺の心に強く強く、響かせてくれた。



そんなおっちゃんは一足先に、北海道を後にして次の旅へ出た。

俺も、このまま無難にまとめる、なんてつもりは毛頭ない。
自分の壁をぶち壊す気概で、この旅を最後まで全力で駆け抜けよう。



色々思案した結果、残りの日数は、日本最北端を目指すことに決めた。
留萌から日本海へ出て、オロロンラインを北上するルートだ。

相棒と一緒に、走れるところまで走って、疲れたら寝る。
もちろん途中で面白いものがあれば、内陸ルートに変えたって良い。
寄り道迷い道、大歓迎の精神は最後まで変わらない。



普段より早めに起き出した俺は、すぐにテントを撤収し、日課のコーヒーもそこそこにキャンプ場をあとにした。
北へ走り出す前に、この近くで一カ所、立ち寄りたいところがある。







国道237号線、上富良野から美瑛へ向かう途中、町境となる深山峠の手前を横道へと入った。
道路脇に「花人街道 ここから ジェットコースターの路」という案内標示が見えたらそれが目印だ。


『ジェットコースターの路』


約4キロにわたって地平まで、いくつもの丘をジェットコースターのように乗り越えてひたすら伸びる、直線道路。
まさに北海道、という絶景で、ツーリング関連の出版物やサイトなどにもよく使われる、ライダーの聖地のひとつだ。
この旅の序盤にも訪れていたのだが、おっちゃんの歌を聴いて、なんとなく、もう一度訪れたくなった。

北海道に来て一か月がたっても、旅する日々の中での、新鮮な驚きや発見、感動が未だ色あせることはない。
一方で、憧れ続けて来たこの土地の空気に『馴染み始めている』自分も確かに感じている。



自分の日常が、旅の中の「当たり前」に溶け込んでいく感覚。
日中はバイク、夜はキャンプの生活の中に自分がいることが、ずっと昔から自然なことだったようにさえ思えてしまう。

もしぐるりの仕事ではなく、目的のない気ままなツーリングという立場で来ていたら、元の現実には戻れなかったかもしれない、とほんのわずかに考えてみたりもする。

あの人も、はじめての長旅はこんな気持ちだったのだろうか。



帰りたくない。ずっと「この感じ」を味わい続けていたい……

自分の中にほんの少し、だだをこねる子供のような部分を発見して、苦笑する。
そういえば幼い頃、一人で見知らぬ土地に迷い込んで歩き回ったことがあった。
あのときも今と同じ、ずっと「一人旅」を続けたくて、迎えが来た時には大泣きしたっけ。


風雨来記3prelude / Nippon Ichi Software, inc./FOG




俺の根っこの部分は、あの日から何も変わっていないのかもしれない。

……うん、そうだな。
でも、帰らなくてはいけない。
俺の旅は、ここで終わりではないからだ。








「おっと、これは……」

道路脇の駐車スペースにタクシーが二台停まっているのを見た時から予想していたが、ジェットコースターの路では数人の学生たちが道路の真ん中に寝そべったり、ダンスしたり、坂道ダッシュしたりと、記念撮影を満喫していた。

修学旅行生だろうか。
みんな元気いっぱいで、楽しそうだ。


「とはいえ……元気すぎるよなぁ」


地平線までつづく直線ということもあって、ここでは遠近感がくるったような映える写真や動画が撮れるのだが、ものすごく急なアップダウンがある上、結構な速度で車の往来があるので、気付かない間にすぐそばまで自動車が来ていた、なんてことが頻繁に起こる。

傍から見ると結構危なっかしい。
タクシーの運転手らしいおじさんがふたり、学生達からつかず離れずで心配そうに見守っていた。



「……」

「…………」

「……………………」


しばらく待ってみたが、彼らの思い出作りが終わるまで、まだもうしばらくかかりそうだ。

一分一秒を争う旅でもない。
取材用の撮影は後にして、少しそのあたりを歩いてみようか。







名もなき場所でキミと。

名も知らぬ少女


道ばたの一本の木の下に、看板が立っていた。

かみふらの八景「ジェットコースターの路」。
1999年4月に町民が選定した、とある。町公認の観光スポットというわけだ。

それまでは、知るひとぞ知るスポットだったわけだが、あの人や姉貴も、ここは訪れただろうか。



90年代は、北海道バイクツーリングの全盛期。
旅客フェリーの便数が現在よりずっと多かったそうだ。
陸路でもJRに、東京・大阪から北海道行きのバイク輸送専用の列車便が存在したこともあって、夏ともなれば現在の数十倍ほどのライダーが北海道に大挙して訪れていたという。

俺の姉貴も、まさにそんな、北海道ツーリング黄金時代に青春を謳歌したライダーの一人だ。
全道を何十周したかわからないくらいに駆け回っていたらしいから、単なる「名もなき道路」でしかなかった頃のこの場所を走ったこともあるのかもしれないな。


『ここは皆様が食べる大事な野菜畑です。絶対に畑に入らないで下さい』

道の脇にある畑にはそんな注意書きが掲げられている。
記念撮影などで夢中になって、私有地だという意識なく畑に踏み込む人が少なくないんだろうな。
周辺には、広大な農地がはるかかなたまで続いていた。


元々、近隣の住民や農家が行き交うだけの単なる道路でしかなかったこの場所。
たまたま通りがかり、景観に心うたれた旅人たちの間で口込みで話題になり、少しずつ知られていって、やがて町によって名前がつき、案内板がたてられた。
その瞬間から、『観光スポット』となり、ガイドブックにも掲載されて、『定番コース』となったわけだ。


そうした一般化については、色々な意見があると思うが、俺自身はこれまで、そういう話を聞く度に「もったいない」と思ってしまうことが多かった。
一方で、一か月にわたって旅をしてきて、色々な人と話し、色々な場所で色々なことを感じて、今はこうも思う。



もし、『観光スポット』でなかったら、俺ははたして、「この場所」を訪れることができただろうか、と。


アンテナは人一倍張っているつもりだけど……絶対に見つけられる、と断言できるだけの自信はない。

あるいは、俺が今やっているルポルタージュだって、『看板をたてること』と一体どれくらい違うといえるだろう。


その場所のありのままの価値を誰かに伝えたい、旅を大切に感じてくれる人に自分が受けた感動を届けたい。
そんな思いをこめて日々記事を編んではいるものの、受け取り方は結局、その人次第だ。



もし、仮に。
誰にも見せたくないくらい……、自分だけのものにしたいくらい素晴らしい、特別な場所を見つけた時、俺はどうするだろうか。

写真に撮り、記事にして、誰かに伝えるだろうか。
それとも、自分だけが知る特別な場所として、大切にしまいこむだろうか。



ルポライターとして。
一人の旅人として。

――――最高の場所に、看板を立てるか。立てないか。


もし、そんな選択を迫られたなら、はたして俺は、どちらを選ぶだろう。



……


…………


……すぐには答えが出そうにない。
この仕事をしていく限り、考え続けるべき課題なのかもしれないな。



そんなことをとりとめもなく考えながら歩いていると、道ばたに一人の小柄な少女が、吹き抜ける風の中ぽつんと立って、遠く広がる大地を睨んでいた。

体格や服装からすると、中学生くらいだろうか。
さっきの学生たちと同じグループかな?



「…………」







視線の先には、畑と、牧草地と、丘と、森と、山。
あとは空が広がっているばかりだ。


どこか人を寄せ付けない空気というか……
なんだか思い詰めた表情。


まるで身投げでもしそうな……いや、まさか……

ここには身を投げるところも無いし、考えすぎだろうけど……
でも、何だか心配だな。

なぜか他人事に思えず、つい声をかけていた。



「やぁ、いい景色ですねぇ」

なんとなく風景が良いので立ち止まった、そこにたまたま先客がいたので挨拶した――そんな旅人あるあるなノリで接してみたのだが……


「…………」

うわ。め、めちゃくちゃ引かれてる……

大きな瞳が、不機嫌そうにこちらをにらみつけてくる。
俺の靴先から頭の上までじろじろと眺めて、さらに表情を険しくした。
気まずい間が二人の間に流れる。


無かったことにして退散しようか、と一歩後ずさったところで、彼女が険のある表情のままで唐突に口を開いた。



「初対面ですよね?」

「しょ、初対面です」

あまりの迫力に、こくこくとうなずく他ない。


「そうですよね、初対面ですよね!」

「は、はい」

「ですよね。うん、やっぱり初対面だった」


やけに初対面というのを強調するな。
ともあれ安心した。

声色は意外と元気そうだ。
これなら心配することもなかったかな。

初対面だと何度も念を押した後は、なぜか笑顔まで覗かせている。
と思ったら、また眉根をよせてこちらを睨んできた。

表情の忙しい子だ。


「初対面なのに、なんで声かけてきたの」
「いや、思い詰めたような表情だったから。放っておけなくて」


正直に答えた。
無理に嘘で取り繕う必要もないだろう。

一方彼女はその言葉を聞いて、さらに眉をつり上げた。

「ほっておけなくて? そんな理由で知らない人に声かけます? ふつう」
「俺も、ふだんはしないと思うけど、旅してるときはふつうじゃないというか」


旅の中では、声をかけるというハードルは日常の百分の一くらい低くなる気がする。


「ふーん? ……思い詰めたような、ねぇ。
 私、そんなに暗い顔してました?」
「暗いというか、こわいくらいだった」


世界こわい顔選手権優勝、という謎ワードがなんとなく脳裏に浮かんだが口には出さなかった。


「こわい、か。そっかそっか。ま、そうかもねー」


少女はふーっと深いため息をついて、ほんの少し口元をほころばせた。


「ごめんなさい。親切で声かけてくれたのに、にらんじゃいましたね」
「いや……」


もう先ほどまでの思い詰めた感じはどこにもない。
ぺこり、と小さくお辞儀をする彼女は、年相応に可愛らしい、どこにでもいるような女の子に見えた。


「おっ。カメラ」
「え?」
「すごいカメラ持ってるね」

彼女は、興味深そうに肩から提げた俺の仕事道具を指さしていた。



「あ、わかった、写真旅行だ!」
「うん、まあそんなようなとこ」


旅行ではなく旅、と訂正しようか迷ったし、ルポライター…と名乗ってもよかったけど、どちらにせよこの少女に分かる様にうまく説明できない気がして、曖昧にうなずいておいた。


「いいなぁ。北海道で、綺麗なものいっぱい見てきたんでしょ?」
「そうだね。数え切れないくらいたくさんね」
「いいなぁ! じゃあ、ここには景色を撮りに来たんだね」
「うん。良い眺めだよね」
「そうだねー……」


少女はうんうんとうなずきながら、さきほどまでにらんでいた風景に顔を向けたかと思うと、


「うわぁっ」


と突然叫んだ。


「ど、どうしたの?」

「ほんとだぁー! すっごくいいけしき!!
 キラキラやばやばっ!」

「え、さっきまでずっと見てたんじゃないの?」

「見てたけど、……考え事してて、目に入ってなかったみたい」


目をキラキラと輝かせている。


「さすが有名な観光地ですねぇ!
 なるほどなるほど、これがかの有名な、あの……
 ジェットストリームの……あれ?丘?だっけ」

「『ジェットコースターの路』はあっちの道路で、これは観光地じゃない、ただの丘だよ」

「えっ、こんなにすごい景色なのに?!」

「あはは、北海道へ来てから、俺もいつもそう思ってるよ。
 きっと、すごい景色があまりにも多すぎて、いちいち名前をつけてたらきりがないんだ」


なんとなく口にして、自分の言葉ながら腑に落ちるものがあった。


「そうか。だから、なのかもしれないな」
「え?」
「自分の感動した場所がその中でも特別だって、形に残したいから。
 誰かに伝えたくて。また来たくて。
 誰かに訪れて欲しくて。感動を分かち合いたくて」


だからこそ、場所に名前を……意味を、つけたくなる。
『看板』を立てたくなる……のかもしれない。


「お兄さーん?」
「あ、ごめん。その、つまりさ」
「ん」
「名前のない丘も、君が心から感動したのなら、この『景色』は君の心が見つけた、君だけの丘なんだよ」


もちろん、丘自体は誰かの所有する土地だ。
でも、自分の目に見えたこの風景そのものに心の中で名前を……意味をつける、というだけなら、誰にとがめられることもないだろう。



「自分だけの丘かぁ……なるほどねー。
 名前がなくてもいいっていうのも、いいなぁ……」


少女は丘を眺めながら目を細めて、ぽそぽそと呟いた。
温度が消えたようなその表情からは、感情がうまく読み取れない。
なんとなく間がもたなくて、俺は話題をつなげる。


「元々、ジェットコースターの路だって、名前なんてなかったわけでさ。
 最初はみんな、思いついた通りに呼んでたと思うんだよ」

「そっかぁ。そういえばここに来る途中、観光用に作ったんじゃなくて、最初はこのあたりの農家の人が使うみちだったって、タクシーの運転手さんが言ってたような」

「15年くらい前まで、正式な名前もなかったらしいね」

「私が生まれる前だ」


あ、やっぱり中学生なんだな。

「元々は、プロヴァンスの路なんて呼ばれてたみたいだよ」

「ぷろぶぁんす?」

「フランスにそういう名前の、ちょっと似た風景があるんだって。
 でもあまり流行らなくて、ジェットコースターの路って名前に変えた途端、観光客が倍増したらしいよ」

「ちょっとわかるかも。ジェットコースターの方がワクワクするもんね!」



憧れのプロヴァンスよりも、身近なジェットコースター。
キャッチフレーズは重要というが、この場所の雄大な魅力を伝えるには、のどかで優雅な外国の情景を想像させるより、肌で感じるドキドキワクワク感のあるストレートなネーミングがハマった、ということだろうな。

読み手の心に響く記事を書くために、ライターとして参考にするべきかもしれない。









話が途切れたタイミングで、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。

「君は地元の子……じゃないよね。修学旅行かな」

「ふっふっふ。そう見えますか?」

「違うの?」

「正解♪ 地元の子じゃありません!」


にやり、と笑ってピースサインをしてみせた。
なんだこのテンション。

「修学旅行で来てるよ」

「あ、やっぱり。さっきジェットコースターの路の方で、同じ制服の子達が写真撮ってたけど、一緒のグループかな?」

「うん、そうだよー」

「へぇ…………」



とすると、楽しく盛り上がっていた彼らと別行動している理由は、あまり突っ込んで聞かないほうがいいだろうか。



「あれ、どうしたの、黙っちゃって。
 ……もしかして、私がぼっちだとか、のけものにされてるとか思って気を使ってるとか?」

「えっ。いや、えーと……」


自分の心を見事に見透かされて、狼狽してしまった。


「あはは、分かりやすいね-、お兄さん!
 ご心配なく、そういうんじゃないよ!
 ノリはちょっとチャラいけど、みんな、とってもいい子たちだから!」

「そ、そう」

「うちのグループは割と個人主義というか、自由な感じなんだよねー」

「…………」



そうすると次の疑問が湧いてくる。
同行者との仲が悪くないのなら、一体どうして……

「じゃあ、さっきまでどうして、景色も見えないくらいに悩んでたの、って?」

「う。ああ、その通り考えてたよ」

「ふふっ」

「ははは……まいったな」

「……私が、こわい顔してたって言ってたね。
 確かに、案外その通りなのかも。怒ってたんだよ。きっと」

「怒ってた……なにに?」

「うん? んー…………」


少女は遠くを見ながらぽつりと、


「……世の中に?」


それから、自虐気味に苦笑しながら、


「それか…………自分自身に」



胸の奥がズキリ、と響いた。

ああ、そうか――だから俺は……



俺が考え込んでいると、少女は次の瞬間、パァッと笑顔になった。


「あー、ごめん、ごめんね。びっくりした?
 嘘うそ、そんなたいそうなものじゃないよ!
 きっと、そう、思春期にありがちなやつ?
 だから、心配しなくてだいじょうぶ!」

「え」

「お兄さん、優しいね。
 見ず知らずの私の悩みなのに、すごくつらそうな顔してた」


あの表情見たら、たいそうなものじゃない、とはとても思えない。
あまり踏み込むのもどうかと思いつつも、


「無理にとは言わないけど、ありがちなことならなおさら、話してみない?」
「え。でも」

「袖振り合うも多生の縁とも言うし」
「そでふり……なにそれ」

「今、道で袖が触れあって通り過ぎたその人とも、多生……つまり、前世とか、もっと前の人生では家族や親友だったりとか、そんな縁があったかもしれないって考え方」
「あー!なるほど、あれだ! ここであったが百年目!」

「それはちょっと違うかな……
 ともかく、見ず知らずの、ここで会ってももう二度と会うことがない、そんな相手だから気軽に話せることもあるんじゃないかな」
「んー……確かに、それは、あるかも。でもいいの?愚痴みたいになっちゃうよ」

「うん。人の話を聞くのは好きな方だし。
 それにやっぱり、ちょっと心配だしね」


少女の顔がほころんだ。

「じゃあ、親切なお兄さんに、ちょっと聞いて貰っちゃおうかな」



袖振り合うも多生の縁


「悩み……とはいっても、悩んでもどうしようもないことなんだよね」

少女はそんな風に切り出した。


「どうしようもないこと?」
「そう。世の中には、どうしようもないことが割と身近にけっこう、ありふれているものでして」
「…………」
「たとえばお兄さん、知り合いのふりしてナンパしてくる人ってどう思う?」
「えっ? お、俺はナンパしてるわけじゃないよ?!」
「?…………」


しばらく大きな目をさらにまん丸くして考え込んでいたが、不意に、小さく吹き出すように笑い出した。

「あははははっ! たとえ話だってば!
 あっ、それともやっぱり、お兄さん的には心当たりがあったのかな?
 声かけてきたの、本当はそーゆー目的?」
「ないない、滅相もない!」
「ふふっ」


からかうような声色。
本来はこういう愉快な子なのかもしれない。

はじめて出会ったのに、何だかよく見知った親戚の子と話しているような。
年の離れた妹のような。

すごく話しやすい。
これ以上からかわれるのは勘弁だけど。



「それで、その、知り合いの振りしてナンパの話だけど。
 もし、お兄さんが『声かけられる側』だったらさ、そういうのって、どう感じる?」
「どう、とは?」
「感想感想! うざい!とか、めんどくさい!とか」
「うーん……」




俺にとっては、特に旅をしている最中は、初対面の相手との会話は日常だ。

もちろん、そうした『人とのつながり』に否定的な意見を持つ人もいるから、決して全員がそうとは言わないまでも、多くの旅人にとっては、行った先の土地の人や旅仲間との出会い、会話は、旅の醍醐味のひとつだと思う。

楽しく話すきっかけなんて、小さな共通点がひとつあればそれで十分。

同じ出身地。同じ移動ルート。同じキャンプスタイル。
同じ場所に行ったことがある。
知り合いの住んでる場所と住所が近い。

ライダー同士なら初対面でも大体友だち、同じ車種に乗っていればもはや身内だ。……ちょっと言い過ぎたろうか。

あるいは、もっと簡単なこと。
今朝の雨で酷い目にあったねとか、どこそこのご飯は美味しかったとか、はじめての土地でわくわくしてるとか。
会話の中の、なにがしかの『共感』ひとつで一気に打ち解けられるのが、旅人の関係だ。



そんな旅の中で、誰かに知り合いのように声をかけられたら……



「ナンパの基準がよく分からないけど、知り合いかどうかがはっきりしないなら、無碍にはできないかも」
「そっか。……ま、そうだよね。
 私たちだって、今こうやって打ち解けて話してると思うけどさ」
「うん」
「これも、傍から見たら、ナンパみたいなものかもしれない」
「そ、そうかな」
「もちろん私はそう思ってないし、キミもそう思ってないだろうけど、たとえば、通りすがりの他の人から見たら…」

キ、キミと来たか。
俺の方が結構年上なんだけど……まあいいか。

「なるほど、傍から見たら違いは分からないかもしれないね」
「うん。今のはたとえだけど、見え方って難しいんだよね。
 私の学校生活も、私が見てほしいようには、他人様からはなかなか見てもらえていないわけです」
「なるほど……」


周りから浮いている自分を感じていて、自己認識と他者認識のずれに悩んでる、ということかな。
どう応えたらいいものか、と言葉を選んでいると、


「あ、でも、みんな基本的に良いコだから、別にいじめられたりとか、ハブられたりってことはないんだよ?
 逆にリスペクトされてるくらいかもね。今もこうやって自由にやれてるし」

少女は丘の向こうを眺めながら淡々とそんな風にまとめて、俺の方を見た。


「ね、ね。今度はキミの話も聞かせてよ」
「え?」
「北海道は長いの? 写真は趣味かな?」


優しげな表情で興味深げにたずねてくる少女に、なぜか一瞬、姉貴が重なった。
年下で中学生だし、顔も雰囲気も体格も全然似ていないのに。


「仕事だよ。雑誌記者なんだ。まだまだ新人だけど」

「へぇ、すごいね! まだ若く見えるのに、えらいなぁ。
 大学生かなって思ってた」

「うん。いま二十歳だからね、年齢的には正解だ」

「そっかぁ。社会人かぁ。
 自分の道見つけて、がんばってるんだ。
 私は二十歳になった頃、何やってるかな……」

「何か、将来の目標とかはあるの?」

「うーん。やりたいことはたくさんあるけど、まだ、わかんない。
 あ、でも東京には出たいかな! 都会に住んでみたい!」



年上の俺をキミ、と呼んだ大人びた表情とは打って変わって、無邪気な子供のように、元気よくぴょんぴょん跳ねている。

悩みを抱えたこわばった表情と、明るく楽観的な表情と、穏やかで大人びた表情。
めまぐるしく変わる、どの顔がほんとのこの子なのか。
話せば話すほど、混乱してしまう。


「そっか。これから、自分のこれだ!って思える道、見つかるといいね」
「うん。明日は明日の風が吹く!」



少女はそう言って、パァッと笑顔になった。
今日一番、明るい表情だ。


明日は明日の風が吹く、か。
前向きで良い言葉だな。


言葉に合わせたように、丘を一陣の風が吹き抜けていく。


あ、そういえば写真撮ってなかったな。
俺が、今さらながら、カメラを丘のほうへ向けてシャッターを切っていると、隣の少女がなんだか楽しそうに笑っている。


「私さ、世の中、みんなお兄さんみたいなひとばかりだったらラクなのにーって思うよ」
「俺みたいなって、どういう?」
「考えてることがすぐ顔に出るって言うか、素直って言うか、なんか可愛いって言うか」
「よ、喜んで良いのかな」
「もちろん。裏表がないってことだよ。ほめ言葉です♪」





調子くるうな。
なんだか時々、同年代の子と話している気分になる。

俺ってそんなに弟気質なんだろうか。






『名もなき場所』

不意に、彼女の手に持つスマホが着信を知らせた。

ジェットコースターの路の方、坂の上からこちらに手を振っている
制服姿の女の子たちが見える。

「あ、……はーい」

『もっちーどげしちょー?』

「なんもー。ちょっと離れすぎちゃったね」

『うんー? あーっ、またどっかのオトコ引っかけてる!
 はー! 悪いオンナだわー、もっちは』

「……あはは、そーだね。
 ちょっといい感じのお兄さんだったから、ナンパしちゃった」

『あたしたちほっぽって旅先の恋すか。もー』

「えへへ……」


友達に対しては、急に年相応の中学生に戻った感じだ。
随分印象が違う。

……でもなんだろう、この違和感。
さっき話してくれた悩みと関係してるのかな。


通話を切ると、はー、と長めのため息をついて。
少女はこちらを振り返る。



「みんなでジェットコースターの路を地平線まで踏破するんだって。私も強制的に参加が決まっちゃった」
「え、本当に?! 結構距離あると思うけど」
「ま、そこは私達、ちょー田舎の育ちですから」


くすくすと含み笑いをする。
体力には自信があるようだ。


「そんなわけで、っと」


ごそごそとカバンから何かを取り出した。
ウサギ耳をかたどった赤い髪飾りだ。

それを頭の上のおだんごに差し、前髪をピンでまとめあげると、隠れていたまるいおでこが太陽の元に照らし出される。
その一連の動作が何かの儀式みたいに厳粛で、黙って見守ってしまっていた。


「……よし!」


あらためた装いで、景気づけのように小さな声で気合いを入れると、俺の方に向き直る。







「ふふっ。お話聞いてくれてありがと。元気出たよ、お兄さん」
「そうか。ならよかった」
「そろそろ行かないと」
「うん」
「お兄さん、ジェットコースターの写真撮るんだよね。途中まで一緒にいこ」
「そうだね」


ふたり並んで、歩き出す。
いつのまにか雲が晴れ、日が差していた。
歩いていると、じんわりと汗がにじむ。暑い。









坂を登ってジェットコースターの路の入り口まで辿り着くと、少女の同級生達は、すでにかなり先まで進んでいた。
2台のタクシーがゆっくりと追走しているのが見える。



俺はカメラを構え、何枚か、ジェットコースターの路をカメラに収めた。
天気も良いし、空気も澄んで見通しが良い。
コンディションは決して悪くない。
けれど、何かしっくりこなかった。


『今ここで、この瞬間に撮るべき一枚はこれじゃない』


そんな気がして。



「お兄さん」

カメラを降ろしたタイミングで、少女が声をかけてくる。

「うん?」
「試したいことがあるから、ちょっとそこにじっとしててね」
「え、あ、ああ」


彼女は俺の方に歩み寄ってきて、割と近い距離で俺の顔をのぞきこんでくる。

なんだか照れるな。
そう思ったのは最初の数秒だけ。


大きな丸い瞳が俺の姿を映している。


それは決して愛とか恋とかの、熱を帯びたシロモノではなくて、
何か、物珍しい生き物の特徴を、つぶさに観察しているような、そんな真剣な眼差しだった。









やがて彼女は、ふっと目力を弱めて身を離し、笑った。


「やっぱだめかぁ……」
「えっ。何が? ダメなの? 俺?」
「お兄さんがじゃなくて、私が」

「???」
「えっとね…………つまり、そう。
 今、クラスで、人相占いが流行ってましてー」
「へえ。俺の人相はどうだったの?」
「わからないということが、わかりました!」
「なるほど。ダメって、そういうことか。そりゃ残念」
「あー! 全然残念そうじゃない!もっと残念がろうよー!」
「あははは、ごめんごめん」


ひとしきり笑い合って。

「じゃ……さよなら」
「うん、さようなら」







そのときの彼女の笑顔がこわさ、険しさこそなかったものの、出会ったときの表情に浮かんでいた色と同じもの……「あきらめ」だ、と気付いたときにはすでに少女は背を向けていた。



駆けだしてゆく少女との距離が離れていくとともに、なぜだろう、じわじわと無力感を感じた。

この子に、おっちゃんの歌を聴かせてやりたい……

そんな想いが湧き上がる。

あの人の記事と同じくらい、俺の心を震わせてくれたおっちゃんのライブ。
俺と出会って生まれたというあの曲。詩。言葉。


『どうしようもないもん色々あるけれど
 おまえが生きた目を失っていくのが耐えられない
 そんなもんぶっ壊せ 今すぐそのガラス細工の目を叩き割れ

 その壁をぶっ壊せ 壊して新しい道を切り開くんだ
 お前の道はどこまでも続いている』



俺はギターは弾けない。
歌だってうまく歌えない。


なんでもいい。
何か、彼女の背中を俺なりに、押したかった。

俺は自分でもびっくりするほどの大声で、遠ざかる彼女に声をかけていた。


「おーい!」

「?」


少女が振り返った。

「俺さ! この仕事に就くちょっと前まで、何もかもうまくいかなくて、自分には何にもないって思ってた!
 世の中が……それよりも自分が、悔しくて、情けなくて、どうしようもなくて、おこってた!」




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伝えたい気持ちは確かにあるが、そこから先に語彙が続かない。

がんばれ、も、あきらめるな、も、違う。
気持ちが分かるだなんて絶対に言えない。
なんと言葉を続けたらいいのか分からない。


ああ。まだまだルポライターとして、未熟だなぁ、俺は。
それでも、


「それでも、キミがさっき言ったみたいに」



そのとき俺に出来たのは、ただ、ギターのおっちゃんの歌のように。
声にエールを込めることだけだった。



「明日は明日の風が吹く!」



少女は少しの間足を止めて……



「うん! 明日は明日の風が吹く!」



パァッと笑顔になった。
小さな両腕がガッツポーズをとる。


「だんだんねー!お兄さん!」







それきり今度こそ振り返ることなく、小走りに坂を駆け下ってゆく。
田舎育ち、と言っていたとおり、足取りは力強い。

吹き抜ける風が丘を越えて、彼女の小さな背中を押していく。



その先を見やれば、また登り坂。
上り下りをいくつもいくつも重ねて、どこまでも長い長い道が続いている。






遠ざかってゆく小さな背中を見送りながら、俺は彼女を他人ごとに思えなかった理由を考えていた。



『怒ってたんだよ。
 世の中に……?それか、自分自身に』



何か自分の、自分ではどうしようもないことと必死に向き合って、現実と戦っているという彼女。
ああ、俺も同じだったって思ったんだ。



ほんの数ヶ月前。
専門学校を卒業しても就職が決まらず、何社もの面接に落ち続けて、自分はこの世の中に必要とされていないんじゃないか。自分の存在が否定されているんじゃないか。
そう悩んでいた、少し前までの俺の気持ちと。


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遠ざかって、丘の向こうに消えていく名も知らぬ少女に、俺は心の中でエールを送る。




無意識にカメラを向け――――わずかな逡巡の後に、カメラを降ろす。撮影許可撮ってないし、……いや、それなら今から追いかけて頼んでもいいけど。それよりも――



両手の親指とひとさし指で四角を作って、アップダウンの激しい坂を往く小さな少女をそこにおさめる。
これは、ファインダーや、記事ではなく、心におさめるべき風景な気がしたから。




『ジェットコースターの路という観光地』ではなく、俺とあの子が少しの時間を過ごした『名もなきすてきな場所』として、きっと記憶に残ってゆくだろう。



もし、彼女が中学生じゃなく成人女性で、修学旅行ではなく自由な旅をしていたなら、写真のモデルを頼んでいたかもしれない。
落ち着いているのに明るくて、少し寂しげで、笑顔と憂い顔がめまぐるしく巡る、不思議な魅力のある子だった。

――――いい出会いだったな。



……さてと。
俺も、そろそろ出発しよう。


北海道の旅も残りわずか。
最高の一枚を目指して、最後まで、全力で、走り抜けるぞ!!






風雨来記3 / Nippon Ichi Software, inc./FOG
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名もなき場所 fin.









6年後




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