【風雨来記4感想】母里ちあり編が大好きだ。【最終回】

母里ちあり


あとがき



「リリさんと主人公の変化の連鎖について書くシリーズ」全五回。
ここで結びとなります。




冒頭で毎回書いた通り、これについて書くことが、自分にとって風雨来記4に出会ってからずっと一番の目標でした。

自分の心を言語化すること、形にすること、表現すること。
なぜ好きなのか、どこに惹かれたのか、どうしてこんなに夢中になれたのか。


時間をかけてじっくりと向き合い、これからどう生かしていくか深く考える機会。

それは自分の中のリリさんと向き合う時間であり、風雨来記4という作品と向き合う時間であり、さらには過去作、風雨来記への憧れや想い、旅の記憶など、かつての自分と向き合う時間でもありました。

言葉にすることで、意識もしていなかった自分自身を発見することもありました。




この記事を書いている間、本当に幸せな時間でした。
まるでリリさんと、想像の「旅」をしているような。




それにしても、長い旅になりました。

書きたいものが多すぎて、しかも後から後から増えていくせいで、振り返ってみると、思った以上の数倍のボリューム。
第一回では9千字だったのが、第二回では 1万2千字、第三回は1万8千と回を重ねるごとに増えて行って、第四回は3万5千字。

第五回ではとうとう6万5千字を超えました。(これを書いてるうちに7万字を超えそうです)
おかげで前回からずいぶん間が空いてしまいましたが……



合計すれば、ちょうど本一冊分くらいの文量になります。
文字の量自体に価値があるわけでもないですが、下書きから数えれば一年以上かけてひとつひとつ踏みしめてきた、自分自身の確かな足跡です。


またひとつ、最後まで何かをやり遂げる自信がついたように思います。




そして、一年を経た今だからはっきりと自信をもって言えます。
作中でリリさんが主人公に対して「私の直感は間違っていなかった」と語ったように、
あの日の自分の直感もまた、間違っていませんでした。



リリさんを「面白い」と思った、あの日。
想いを絵で表現したいと思ったあの日。
言葉にして語るためのブログを作ろうと思ったあの日。



「風雨来記4母里ちあり編」について本気で語りたい。

言葉や絵で、自分の思いを絶対に語りきりたい。
今度こそきっと、それができる。
最後までやり遂げられる。

その直感を信じてひたすらキーボードを叩き続けてきたつもりです。



語っても語っても、語りきれない。
想っても想っても、想いをぜんぶ表現しきれない。
なんて幸せなことか。





自分語りになりますが、

子供の頃はいわゆるスポ根マンガがとても好きでした。
冒険漫画や格闘漫画でも、修行や特訓を重ねて、その成果があらわれるシーンが一番わくわくしたかもしれません。



ずっと、何かに夢中に、ひたむきに頑張るひとに憧れていました。
スポーツや趣味、勉強でも仕事でもいい、何かひとつに全力で打ち込んで一所懸命になれる人たちに。


そしてそれ以上に、そんな何かを見つけられることを、羨ましく思っていました。
「自分にもいつかあんな風に、心の底から夢中になれるものがほしい」と思ってきました。


長旅やキャンプ、バイク、文を書いたり絵を描いたりはもちろん楽しかったのですが、自分にとってはそれは、「自然体でありのままに楽しむ」もので、情熱を燃やし続ける類のものとは少し違いました。


長期休暇中マインクラフトにハマって家から出ずにひたすら熱中したりとか、ソシャゲの上位ランキング目指して走ったり(それでも三桁順位が関の山でしたが)できただけで、「自分にもまだこれだけ夢中になれるものがあった」と確認し、本気で喜んでいました。



そうして時がたって、「心の底から夢中になれるもの」なんて「そんなもの見つからない方が普通なんだ」と気付き、いつからかそんな願いは抱くのをやめかけていました。


良い意味でのあきらめだと思います。

「心から夢中になれるもの」なんて見つけられる人の方が珍しい。
そんなものないのが普通、なくたって楽しく幸せに生きている人はたくさんいる。
無いものねだりしていないで、今の自分に満足しよう。


あきらめた。
あきらめていたんです。


そんな自分が、生まれてはじめて、心の底から夢中になれた対象。
毎日を楽しく、今日だけじゃなく明日を面白くしてくれる存在。


それが自分にとっての、リリさんです。



好きで好きでたまらない。
リリさんも、主人公も、ふたりの旅も、風雨来記4という作品も。

それは岐阜や、文や、絵や、カメラ……いろんな興味へとどんどん広がっていって、今に続いている。


「リリさん」を起点に自分の中に生まれてくるもの。
この感覚を、全力を尽くして言葉にしてみたい。
形にして残したい。


だから頑張れた。
同時に、ずっと恐怖もありました。



「もし、ここでできなかったら、もう一生できないだろう。 そしてそれを一生後悔するだろう。
 あんなに情熱を持ってして、それでも自分がやり遂げられなかったなら、もう自分にはこの先何もないかもしれない」


あるいは、不安。



「明日目が覚めたら……この情熱が冷めて、消えてなくなっていたらどうしよう。
 明日は大丈夫でも、一か月先は。半年先はどうだろう」



毎朝、自分の気持ちを確かめるのが日課になりました。
今だってそうです。


ひとまず書き終わったからと言って立ち止まったら、あっという間にこの情熱の炎は消えてしまう。
次へ、前へ、自分は常に進み続けないといけない。






そんな紆余曲折、迷ったり苦しんだりを乗り越えてこの一年余りをかけて書いてきた記事で、リリさんに対する「ありがとう」の一端をこうして「ひとつのかたち」としてまとめられたことは、他の誰でもない自分自身にとって何よりも大きな成果です。

一生の宝物です。





そして同時に、ここでやっとスタートラインに立てたとも感じています。



一年前に「これを書きたい」と思っていた事は、一年の間でだいたい書きまとめることができましたが……




今の自分にはその頃にはなかった「これを書きたい」「あれを描きたい」が、いっぱいあります。
今この瞬間にも、次から次へと湧いてくる。




ここから書くべき事、書きたいことはたくさんある。
絵についても、ようやく自分の描きたいものが分かってきたところです。


他にもやりたいことはたくさんあります。
行きたい場所もたくさん。




そしてなによりも、一年前よりもっとずっと、リリさんを好きになっています。
夢中になっています。


だから、表現したい。
これまでよりも、もっとたくさん、です!




だから、今ここが、自分にとっての新しい旅のはじまりです。
本気で、この旅を、楽しんでいきたいと思います。
自分にとっての、最高の一枚を目指して。








長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。
また、どこかの旅の空の下でお会いしましょう。









2022/8 岐阜・橿森神社にて photo:旅想郷風土記



























追記


一年間ちあり編に向き合い続けて来て、ひとつ確信したことがある。

リリさんにはモデルがいる、あるいはちあり編の元になる「なにか」が実際にあったんじゃないかと、そう勝手に確信しているのだ。



ちあり編の物語を作ったのが誰なのか、自分には分からない。
一人なのか、二人なのか、多くのスタッフの共同なのかさえ。


あえてあまり知らないようにしているというのもある。
リリさんの生みの親となれば自分にとってはまじで神のような存在だからだ。

あまりにおそれ多いので、自分とは別の世界の存在として遠くから拝むにとどめている。



ただ、いずれにしても、誰かの何らかの実体験が、ちあり編のベースにあると思っている。

別に、「可愛いリリさん」や「転職して婿入り」が実話だ、という直接的な話ではなくて、


「これまでのシリーズのテーマを踏まえつつ」「殻を破り」「劇的な内面の変化を肯定的に描く物語」を描こう、という動機となった「実体験」。


それは「人」かもしれないし、「場所」や「環境」かもしれない。
「作品」かも……あるいはもっと他の何かかもしれない。


ひとつじゃなく、色々なエピソードが積み重なって生まれてきたものかもしれない。



ともかく、そんな「何か」との出会いで、自分自身の価値観が大きく広がり、自分が変化する。

「変化することを楽しめる自分」に気付く。


相馬轍の風雨来記に出会ったときのような衝撃的なものとはまた違って――

日常の、平穏の中のきらめきを見つけられて、

心の底から楽しく笑えるような、そんな「面白い」経験。



誰かのそういう「実体験」が――――

『出会って、互いに影響を与え続けて、それが予測不可能で大きな変化を導き出す』、そんな面白い物語「母里ちあり編」を形作ったんじゃないだろうか。




最初の風雨来記という作品が、そうだったように。




だから、風雨来記のこれまでの常識を打ち破ったにもかかわらずやたらと説得力があって、

そして俺はこんなにもこの作品に心うたれたんじゃないかと。

何の根拠もないけれど、自分はそう感じた、と言う話。













追記の追記

リリさん、あいしてます。
ずっといつまでも。


出会ってくれてありがとう。







コメント

  1. やまねこ より:

    1年半前、初めてあなたのブログにコメントした日のことを思い出します。
    当時の私はこうコメントしました。「風雨来記4に感動してこのブログにたどり着きました。いずれ過去作品も触れたいと思います。」

    そして時間がたった今、風雨来記2には未だに触れられていないですが、1、3はプレイしました。
    だからこそ、この文章が持つ意味、島田光編や樹との物語、それがしっかり風雨来記4にも受け継がれていた、ということをこの記事を読んで改めて理解し、何度も涙を流しました。

    こうして言語化してくださったことに感謝します。そして当時の私は気づいていなかった旅という行為の楽しさ(当時はまだ旅好きではなく、この1年半の間に実際に岐阜県に足を運び旅人としてデビューしました)にきづかせてくださった椎名建矢さん、そしてこの記事を書いてくださったねもとさんに深く感謝いたします。ありがとうございました。

    • ねもと より:

      一年半。
      はじめて書き込んでいただいた日から、もうそんなにたったのか、というのが正直な気持ちです。自分にとってはつい昨日のことのようですね。
      あらためて、コメントありがとうございます。

      そして風雨来記、過去作に触れられたのですね。
      やまねこさんの思考を深める中で、自分の文もその一助になったのなら、幸いです。

  2. やまねこ より:

    数日前に最新記事か否かすら気にせずに書きなぐった文章が見えて恥ずかしい…改めてこの記事を読み返して思ったことを書きます。ねもとさんの考察の一助になることを願って。

    私は風雨来記4から入り、後から1をプレイした、つまり最初にヒロ…榊千尋の記事から風雨来記に入った人間です。(ヒロという略称から察するかもしれませんが4では日陽派です)
    だからこそ私は人生で一度も相馬轍の記事を神格化したことがなく、むしろ3以降の榊千尋の理性あふれる記事にこそ神格化したくなる気持ちを抱いた人間です。いえ、きっと今もヒロの記事を神格化しています…
    そんな人間だから、ねもとさんの轍を神格化する気持ちを想像することしかできません。
    私は轍の書く「よくわからないけど熱意だけは感じる」記事(轍や風雨来記1、2を貶す意図はありません)には「凄さ」を感じましたが、ヒロの「理屈っぽく多くのことを説明して理解してもらおうとする記事」のほうがわかりやすくて好きでしたし、旅雑誌の記事を書く人間としてはヒロのほうがより適している、とそう思っていました。
    でも、ねもとさんのこの記事を改めて読んで、「轍の記事に憧れる人」の気持ちはなんとなく理解できて、彼はとんでもなくすごいことをしていた、今なおしている(真鶴のセリフを考えたら今も外国で写真を撮っている可能性の高い)彼のことを考えると頭を垂れたくなる想いで満ちています。

    ねもとさんにはこのまま自分の気持ちに沿った記事を書いてほしいと願っています。私を風雨来記という沼にはまらせてくれる一助になっていただき、本当にありがとうざいました。
    過去の記事から、風雨来記4の世界は6月くらいに取材した場所が多そうだ、という話も目にしました。
    実は私も去年の8月に実際に岐阜に足を運んだ人間なのですが、だからこそ椎名さんが実際に撮影した6月の風景を今年こそ目にしたい、と思いました。本当にありがとうございます。

    • ねもと より:

      こちらこそ、貴重な体験談をありがとうございます。
      自分にはない視点からの思い、言葉。
      色々考えさせられました。

      自分は勝手に、風雨来記4作中にたくさんある「選択」を、プレイヤー(=人生という旅の旅人)自身の選択、という風に受け取っています。
      それは、榊千尋の「アートというよりデザインに近い」「読者に寄り添う仕事スタイル」にも繋がる部分かもしれません。
      作中での彼の記事スタイルはそのまま、風雨来記4という作品のゲームデザインにあらわれているように思うのです。

      いつ、どこへ行くか、一人で行くか、誰かと行くか。
      どんなことを思って、どんな写真を撮って、どんな記事を書いて、どんな道をつくって、どんな旅をするか。

      私の選択。あなたの選択。
      ゲームを通して、プレイヤーの数だけのたくさんの選択があるのが感じられるのがとても素敵です。
      私が記事内でいつも「榊千尋」ではなく「主人公」という表記にこだわるのは、このあたりが理由だったりします。

      私も今年5月か6月に時間をつくって、また岐阜を巡ろうと思います。
      どこかで気付かずすれ違ったら、面白いですね。

      袖振り合うも多生の縁。
      お互い、よい旅をしていきましょう。

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