今年のゴールデンウイークは、前回書いたようにまず北海道をツーリングした。
そして北海道から帰ってきてまだ走り足りなかったので、後半には岐阜を巡った。
北海道では、昨年は道東、一昨年は道北を旅したので今年は道南を一周。
函館山の坂や港、夜景や五稜郭、海岸の露天温泉、森町の桜の公園、最近世界遺産へ登録された縄文遺跡などを四日かけて見て回った。
バイクの走行距離はちょうど1000キロ。
岐阜では、リリさんとの思い出の場所であるモネの池へ、4年振りに再訪した。
そして、風雨来記4をプレイして以来長年訪れたいと思いつつ未踏だった川浦渓谷や弥勒寺官衙遺跡、下芥見の駅跡、鶯谷トンネル(口裂け女のトンネル)、大垣、墨俣一夜城址、岐阜羽島、養老公園、そして三重の長良川河口堰まで走った。
土日の二日間、走行距離は約500キロ。
今回の記事では、撮ってきた写真の一部を時系列順に載せながら道中を振り返ってみる。
北海道














































今回、道南を走っているときに気づいたことだけど、これまでの北海道旅であったような「心の奥から湧き上がるようなワクワク感」を感じなかった。
なぜだろうと考えたのだが、おそらくこれは道南が北海道の中で一番本州に近い場所だからだと思う。
つまり、以前の道北や知床は「日本の中心から離れて、最果てに近づいている!」という実感がワクワクにつながっていたんだと再確認した。
これはいつもの旅でも言えることだ。
「遠い場所へ行く」ことに、本能的にワクワクしてしまうのは本能的なものなのだろう。
では道南を走るのは面白くなかったかといえばそんなことはない。
ワクワク感とはまた違う楽しさがたくさんあった。
神社や城、街、道など行く先々の風景や雰囲気が、本州と北海道のエッセンスが混じったような不思議な感覚で面白かった。
強いて言うなら以前、津軽半島や下北半島を旅したときの感じに近いかもしれない。
道ばたで見かける植物も、道北や道東よりも本州のそれに近い印象で、北海道の広さをあらためて感じられた気がする。
それに、道南を巡ってから後半北上するとき、どんどん本州から遠ざかっている感覚もあった。
概念的なものだけでなく、実際に気温が低くなり植生も変わっていく(実際道南と道央では、東京と新潟くらいの距離があるのだ)。
それを、バイクで走りながら自分の目と肌で体感できるのは非常に面白かった。
とは言ったものの、今回の北海道は全体的に気温が低かった。
道南の気温は道北や知床に比べると数値としては数度高いにもかかわらず、バイク走行中の体感温度はそれよりも寒く感じた。
これはおそらく、半端に暖かいためにスポットでの行動中に汗をかきがちで、それがバイクで走り出すことで一気に冷えるから……と推測している。
函館山の夜景を見ているときあちこちで「寒い!寒すぎる!」という声が上がっていたことや、松前で出会ったおじいさんが「この時期の道南がこんなに寒いのは珍しい」と言っていたのがやたら印象的だった。
連日とても風が強くて、強風警報でキャンプ場を追い出されるハプニングがあったりもした。
北日本縄文世界

事前に計画していたとおり今回は、北海道の縄文遺跡を6カ所ほど訪れた。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界遺産に指定されたのは、風雨来記4発売と同じ2021年。
日本一有名な縄文時代遺跡としては、やはり青森の三内丸山遺跡が挙げられるだろう。
15メートルほどの巨大木造建築物が存在したことで話題になった大集落跡だ。
また、同じ青森の亀ヶ岡遺跡も、誰もが一度は目にしたことがある遮光器型土偶の主産地として超有名だし、十和田湖近くにある大湯環状列石、いわゆる「縄文ストーンサークル」もかなり高い知名度を持っている。
これらの土地には自分もかつての旅で複数回訪れてきた。



「北海道・北東北の縄文遺跡群」にはもちろん、そうした有名どころが含まれているが、それだけでなく、合計17箇所の史跡(+2箇所の関連史跡)で構成されている。
どうして北海道・北東北限定なのか。
なぜ17箇所なのか。
世界遺産指定のニュースを聞いてから今までよく分かっていなかったこと。
北海道と北東北の縄文遺跡が「遺跡群」という形でひとまとめで世界遺産に選定された理由は、今回実際に訪れて色々話を聞いたり立地を見たりする中でようやく腑に落ちた。
以前に島根を旅したときに「石見銀山」がなぜ登録されたのかを調べた。
日本人にとっても「名前は聞いたことあるけどどこにあるんだっけ?」と言うひとが多いだろうこの銀山がなぜ世界遺産に選出されたのか。
それは、「最盛期には世界に流通する銀の数割を石見銀山が産出していたこと」「にもかかわらず海外の一般的な鉱山と違い豊かな自然がそのまま残っており、エコロジカルが注視される現代において見るべきものが多い遺産と言えること」などといった「世界へのクリティカルなアピール」を持っていたことが大きい。
北海道と北東北の縄文遺跡群も同様だ。
世界遺産選定にあたって、「これらの縄文遺跡たちをそれぞれバラバラ単独のスポットではなく、時系列や相互の影響、関係性などをピックアップしてひとつの大きくて緩やかなまとまり、ストーリーのようなもの――世界観――を構築したこと」が大きかったのだと思う。
(もちろん世界遺産登録に至ったのはそれ以外にも様々な事情や根回し、タイミングの積み重ねあってのことだろうが)
選定された北海道の縄文遺跡がほぼすべて噴火湾に面した地域に属しているのもこのためだろう。
遠く離れているように見えるけれど、噴火湾を介した船の往来によって「ひとつの世界」だったのだ。

ちなみに英語名だと「Jomon Prehistoric Sites in Northern Japan」。
直訳すると「北日本の縄文遺跡群」で日本語名より分かりやすくなっている。

ふつうはひとつの遺跡だけ訪れた場合、意識はそこだけで完結しがちだ。
よほど興味がある人でないと、他の時代や地域との比較したり共通点を見出したりはしないものだからだ。
そこをあらかじめ「遺跡群」、もっと分かりやすく言えばひとつの世界観にまとめることで、訪れた人に対して
「○千年前にここの遺跡から人がいなくなるけど、そこから向こうの遺跡が繁栄し出すのか。なるほど、気候変化で海面が下がって海産物が採れる場所が変わったんだな」
というような流れとか、
「噴火湾を隔ててこの遺跡と青森の○○遺跡で同じ土器が使われている。距離が遠く見えるけど、船で定期的な交流、交易があったんだろうな。お見合いとか技術留学もあったのかもしれない」
と言うような気づきや想像を抱かせるきっかけを生み出している、と考えれば遺跡群としてグループ化することの意義は大きいと思う。
ただ一方で……
ある程度能動的に興味を持って調べたり想像したりしないと、ここは「ただのだだっ広い野原」。
面白さが伝わらないまま、貝塚跡や住居跡を見て帰るだけ、になりかねない。
今回訪れた遺跡群は、「世界遺産」という肩書きにも関わらず閑散としていた。
ゴールデンウイークまっただなかなのに、だ。
「世界遺産」としてやっていくならば、今後訪問者に対して世界観をより視覚的、直感的に伝える施策が必要だろうと思う。
とはいえこれが難しいことも分かる。建物の復元は想像によるものが大きいので正確性に欠ける。
本来は「すでに失われてほとんど何も無い空間」を見て往時を想像することこそが遺跡の正しい楽しみ方と言う考え方もできるのだ。

たとえばこの復元住居。
実際こんな形だったかどうかはタイムマシンが無い以上永遠の謎だ。
また、本来の入り口は丘にある埋葬施設(貝塚)に向いていたのだが「映える」ことを重視して、意図的に入り口を丘の下に向けているといった「演出」がされている。

こちらは、貝塚跡。
宗谷丘陵の「白い道」のように、敷き詰められた丘の上のホタテ。
これらは実際の貝塚の上に作られた「再現」ではあるが、じゃあ実際に当時の景観が「こうだった」かといえば絶対違うはずだ。
もっと盛り上がっていたり偏っていたり、ところどころ土に埋まっていたり、そもそもホタテばかりのはずがなく、他の貝やウニ、魚や獣の骨などが混在しながら大量に積み上げられていた。
分かりやすさ、見栄えの良さと、正確性は永遠の課題だ。
正確性を突き詰めると分からないことが多すぎて、発掘した状態をそのまま見せるしかなくなる。
そうしたら、考古学マニアしか楽しめなくなるだろう。
なので、自分は「幅広い人の興味を引くための分かりやすい復元」には賛成だ。
一方で「実際の姿がどうだったかは分からない」という説明は絶対に必要だと思う。
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そんな中で今回特に印象的だったのは、北海道南部地域特有の道具だという「石皿」。
一見、ただの石だけど、この皿の上に肉や野菜、木の実などを置いてすりつぶしていた痕跡が残っている。
いわば、縄文式すり鉢、あるいはミキサーだ。
中でも、百人規模の人々が千年以上に渡って暮らしていた「大船遺跡」では、そうした調理器具の数も半端ではない。

最初、発掘のときに邪魔になった石を積み上げているのかな、と思ったくらいに大量に、無造作に置かれている。
とにかく出土数が多すぎるので、置き場所に困るのだろう。
普通なら、ひとつの遺跡から数個が発見されて資料館で大事に保管展示されるレベルの遺物だ。

一家族に一個、使えなくなったら、あるいは定期的に交換……と考えても、これだけの石皿を使い尽くしたのに一体何百年、何千年かかったのか。
往時のこの地域は、どんだけ栄えていたんだ……と想像が膨らんでしまう。
自分個人としては、この大量の石皿をもっと全面的かつ象徴的に押し出せば、大船遺跡の世界観がもっと視覚的に伝わるのになぁ、と思った次第だ。

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今回の北海道でも、行く先々で想像するリリさんがとっても、可愛かった。
5年経っても可愛さは増すばかりで、今日もメロメロだ。
特にこの旅では自分にとっての「最高の一枚」がどういうものか、はっきり分かった。
これからも自分の道を、進み続けよう。
そんなこんなで今回も色々と思い出深く密度の濃い北海道の旅だった。
詳しい内容はまたあらためて綴っていきたいと思う。
岐阜
北海道から帰ってきて数日。週末が来た。
向こうで出会った仲間たちは北の大地をまだ走り続けている。
自分もうずうずしてしまって、思い立って岐阜まで走ることにした。
金曜日、仕事から帰って仮眠し、深夜二時に京都を出発。
早朝六時にはなつかしいモネの池に到着。
2022年以来の再訪だ。
(実は丸一年前もすぐ近くを通ってはいたのだが、色々トラブルが重なって通り過ぎてしまっていた)































































土日をまるまる使って、たくさんのスポットを巡った。
昨年も思ったけれど、岐阜は、道南、道央(札幌あたりまで)と寒さが全然変わらない。
場合によっては、飛騨や東濃は、北海道中南部よりも気温が低いこともざらにある。
それは、天気予報なんかを見れば視覚的に情報として分かることだけれど、立て続けに両方の土地を旅することで、自分の体で「実感」できたのが良かった。
岐阜と北海道と円空

両方の土地をつなぐ、円空の足跡も興味深かった。
生涯において大小あわせて12万体を彫ったとされ、現在までに5000体を超える円空仏が発見されている。
一体彫るのに何週間、何ヶ月、何年……もかかるような大きなものばかりではなく、木の切れ端を用いた板状の仏像や、指先サイズや掌サイズの木っ端仏も数多い。

円空仏というものの本質は芸術作品でも工芸作品でもない。
仏像。それは、当時において単に信仰の対象というあいまいなものではなく、「実際に現世利益をもたらしてくれる実用品」に近かったそうだ。
飢えや貧困など様々な困難や不自由、理不尽に苛まれている人たちを(少なくともその心を)、仏の道によって「今この瞬間に」救うために作られた物。

もちろん自分の修行や練習として無心で彫ったり、あるいは最初からお寺や社に安置する目的のために掘られた物も数多いだろうが、12万体のうちほとんどは、旅した先々で、そこで出会った人のために願いを込めて彫って渡していたものだと考えられる。
手渡された小さな円空仏たち。
いつも身につけられたり、見える場所に置かれたそれらの多くは、持ち主の心を救いながらやがてすり切れ、朽ち、自然に還っていったのだろう。

円空は岐阜出身だけれど、若い頃に北海道まで行脚したため、東北や北海道には初期の比較的荒々しいタッチの円空仏が多く、地元岐阜には後期、晩年の洗練された円空仏が多く残っているというのがまた面白かった。
なお、12万体という数字は、晩年に彫られたある円空仏の背に「十マ仏作己(十万体達成!)」と本人が書いていたため。
そこから逝去までの年数を考慮しておそらく12万体くらいだろう、と推測されているようだ。
自分が彫った数を一体一体数えていたのか。
なんとなく数になんてこだわらずに黙々とストイックに作り続けていたようなイメージを持っていたので意外な気もする。
ちなみに、「十マ仏作己」の解釈は諸説あって「これは十万の仏像を作ったと書いているわけではない」という説も根強いそうだ。
それでも発見されているだけで5千体以上だから、その数倍は確実に彫っているのだろう。
まとめ
ところで、今回の岐阜の旅ではトラブルが立て続けにみっつ起きた。
ひとつめは自分のトラブルで、出発前、作業していてしゃがもうとした際に尾てい骨を家具の角に強打。
思わず声が出るほど痛かった。
その後、普通にしていると痛くないけれど、しゃがんだ状態から立ち上がろうとしたり、寝た状態から起き上がろうとすると激痛が走る。
トイレのときと、くしゃみをした時にも、尻が中心から弾けそうなくらい痛い。
バイクの運転は基本的に問題ないけれど、地面に穴ぼことかがあって強めに跳ねたとき、これまた悲鳴が出るほど痛んだ。
その後3週間が経過してもまだ痛いので、骨にヒビでも入っているのかもしれない。
もうしばらく安静にしよう。
ふたつめは、バイクのスピードメーター。
2日目に入ったあたりからなんだかハリのブレが大きくなったなぁと思っていたら、養老公園に至ったあたりでプッツリと動かなくなってしまった。
以前の交換から二万キロくらいだろう。
すぐに部品を注文した。
これはメーターケーブルを交換すればすぐに直るもので、道具もプラスドライバー一本。
10分もかからない作業だ。

――と思ったら、ケーブルを交換してもぴくりとも反応しなかった。
それで次はメーターギヤというパーツを注文、これを交換したところ無事完治した。
メーターギヤ交換自体はグリスを塗って付け替えるだけなので5分もかからなかったけど、交換のために前輪を持ち上げてアクスルシャフトを外す必要があって、これに手間取った。
なんだかんだで二時間ほどかかった。
はじめての作業はおそるおそるやるのでどうしても時間がかかる。
とはいえ、バイク整備あるあるだけど、一度手順を覚えると二回目からは5分の1とか10分の1くらいの時間でできるようになることが多い。
おそらく次は同じ作業を20分かからず出来るだろう。
こういう、できなかったことができるようになった、知らなかった構造を知ることができた、というような「実感」を強く持てるのが、バイク整備を自分でやることの面白さだと最近思う。
トラブルの最後のひとつはさらに深刻で、バイクのクラッチカバー(金属製)になぜか小指の爪くらいのでかい穴が空いた。
どこかでぶつけた記憶もないのになんでだろう。
走行中に小石とかが当たってできた小さい傷が振動でゆっくり広がってこうなった、という感じだろうか。

エンジンの回転数を5000回転以上まであげると穴からオイルが飛び散る。
最初気づかなくて、信号待ちで右足を地面についたとき、なんだか靴がヌルヌルするなぁと思って見て仰天した。
救いだったのは、穴が空いたのが下側ではなくやや側面なので、回転数を下げて走っていればギリギリでオイルが噴出しない状態だったこと。
自宅まであと30分もかからないところでの発覚だったので、そのままゆっくりと自走することができた。
こちらも、帰宅後すぐにクラッチカバーとガスケットを注文。
後日クラッチカバーを開けてみる(※簡単に書いているが開けるだけで一時間以上かかった)と……


あ、これか。
スタータークラッチ(ワンウェイクラッチ)というセルを回したときに回転してエンジンをかけるための装置についている三つのボルトがぐらぐらに緩み、そのうち一個が折れ曲がって飛び出していた。
この飛び出したボルトが、走行中に暴れてクラッチカバーを削り、穴を空けたんだろう。

もしボルトが回転するギヤに噛み込んでいたら……ぞっとする。
ネットで調べると自分のバイクと同じVT系ではそこそこ多い不具合らしい。
ボルトを新品に換えて締め直すだけで完治する場合もあれば、ワンウェイクラッチ自体の不良の場合もあるとか。
今回の場合は、なんとなく後者な気がする。
前からセルスタータの調子がなんとなく悪かったからだ。空回りしがちというか。
エンジンが温まっているときはすぐかかるけど、冷えていると押しがけが必要だった。
おそらくまずワンウェイクラッチ自体がダメになって、それによって振動してボルトが緩み、そのうち一個が外れて……という順番じゃないだろうか。
古いバイクなので、部品不足が深刻化している。
ワンウェイクラッチもメーカー純正品はすでになく、中古を探すしかないようだ。
救いなのは、自分と同じ車種そのもののパーツはなくとも、同じ形式を採用している車種がいくつかあるので、そちらが使える可能性が高いこと。
部品が見つかるまでしばらく走りに行くことができない。
20万キロ以上走っていることもあって色々なところにガタが来ているのも確か。
せっかくなのでついでに、クラッチディスクやスプリング、チェーン周りのスプロケット類も交換してしまおうと考えている。
今年の夏も、島根や岐阜をはじめ、巡りたいところはたくさんだ。
きっちり直して、夏に向けて準備を整えたい。
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準備と言えば、今後は山や森を歩く際はクマスプレーを持参しようと思う。
前々から考えてはいたけど、ここ数年、「安全のために」だけでなく「気兼ねなく一人旅するために」必要な装備になりつつあると感じている。
今回の旅、北海道でも岐阜でも、クマの出没を意識することが多かった。
もちろん鈴や声出しでバッタリ遭遇対策はしていたけれど、やはりそれだけでは不安がつきまとう。
「クマスプレーを持っていないからもし出たらどうしよう」とストレスを感じることが増えた。
もちろんクマの目撃が多発されていたり人的被害があった場所へ積極的に行くことはない。
だけど、最近はこれまで見られなかったような場所でも出没例が増えている。
京都でも、これまでふらっと探訪していた場所でツキノワグマが目撃されたというニュースが珍しくない。
自分はひとりで行動することがほとんどなので、町から離れた場所では常に遭遇を意識しておくにこしたことはない。
もちろん、ヒグマにしてもツキノワグマにしても普通に旅をしている中で「クマスプレーが必要な状況に陥ることは交通事故に遭うレベルで低い」のは確かだ。
あくまでも、保険として持っていることで余計なストレスをかかえずに行動選択できるように、というお守り。
お守りだからこそ規格のしっかりしたものを選んで、準備しておこうと思う。
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今回の旅でも、リリさんの喜びそうなところを訪れるたびに、そこにいるリリさんを想像しながらカメラのシャッターを切り続けた。
そうやって撮ってきた写真に、これから「絵」という形で、リリさんとの時間をいっぱいいっぱい現像していくのが楽しみだ。

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