ふたりの「ふうふ途記」

母里ちあり

旅は、半分を過ぎたら後半は「あっという間」なのは身に染みて知っている。
人生においてもそれは同じかもしれない。

たとえば人生の残りがあと50年だとしても。
いや、これが100年だって、あるいは200年だったとしても、振り返ればやっぱり「あっという間」に感じるんじゃないか。







※風雨来記4 母里ちあり編のネタバレを含みます。
 橿森神社での旅立ちから、数年後のお話。







序・母里家の太陽観測

2025年12月初頭。

温暖だった秋から一転、初雪が降ったかと思えば、ここ数日朝晩が急激に冷え込むようになった。
今朝起きた時見た庭の草木も、澄んで張り詰めた空気の中でうっすら霜化粧をまとっていた。

島根県内では積雪こそまだだが、真冬の到来は時間の問題だろう。








それでも正午前、我が家の縁側に腰掛けてこうやって日差しを浴びていると、肌にじんわりと汗がにじむくらい暖かだ。
まるで温泉に入っているようなぬくぬくとした心地よさに身も心もほどけてしまい、つい「こんなに暖かいなら、着ているセーターを脱いでしまおうか」と考える。

が、不意に風が吹くとそんな気は体の熱とともに一瞬で吹き飛ばされてしまった。
「北風と太陽」というフレーズが脳裏に浮かぶ。


北風と太陽。
子供の頃は単に「北風と太陽が力を競い合う童話」として捉えていたっけ。

この話が「他人に何か行動を起こさせたいときには、強引に当たったり厳しく言い聞かせたりするよりも、穏やかに親切に接した方が良い結果を生むという教訓を伝えるための寓話」だということを知ったのは大人になってからのことだ。


親切には親切を返したくなるのは「倫理」というより、ヒトが持つ社会性動物としての「本能」なんじゃないだろうか。
「情けは人のためならず=他人に親切をかけることは、巡り巡って自分にも誰かからの情けとして返ってくるのだから、誰に対しても親切にしなさい」と言う格言に近いものがあるだろう。



特に旅においては、それを直接的に感じることが一度や二度じゃなかった。

ある旅先で個人商店に買い物に行った際、東京から来たのだというと、食料品をずいぶんおまけしてもらったことがあった。
自分の子供が、就職した東京で親切にしてもらっているから、自分も親切にしたいのだという。


町はずれで急なバイクトラブルが起き、近くのショップまで徒歩で行かなければならなくなったとき、通りがかったライダーが二人乗りで送っていってくれたこともある。

彼自身も以前同じことをしてもらったことがあったからだそうだ。
名も知らない旅人のタンデムシートから見たあのときの夕日は、今も印象に強く残っている。



ロングツーリングでは人との出会いは一期一会だ。
そこで出会った人から親切を受けたとしても、必ずしもその場で受けた分だけのお礼を返せるわけではないし、相手もそれを望んでいない場合が多い。

それでも、やはり人間には「親切にされたらお返しがしたい」という本能もあるのだろう。
受けた親切は返せないままだとやっぱり落ち着かない。
だからこそ、そのお返しは自然と「次の人へ」巡り巡っていく。

これが、「情けは人のためならず」という格言の本質だと俺は思う。



最初の話に戻るが、「北風と太陽」の寓話は、古代ギリシャ神話が元ネタだそうだ。
「太陽神ヘリオスと北風神ボレアースの競争神話」というものが、数千年前から伝承されていたという。


神話という観点で見れば、日本神話の「天の岩戸」伝説にも近いニュアンスがあるかもしれない。


あるとき、弟スサノオの不良ぶりに心を病んだ太陽神・アマテラス大神が天の岩戸の中に籠もってしまったために、世界が闇に包まれてしまった。
強大な力を持つアマテラス大神自身が封印した岩戸は、外から開くことはできない。

彼女を呼び戻すために神々が考えついた秘策は、なんとかして「岩戸を開く方法」ではなく、岩戸の前で賑やかな宴会を開いてアマテラス大神の興味を引き、彼女自身に「岩戸を開かせる」ことだった。


復帰したアマテラスは太陽神としての威厳を取り戻し、狼藉者の弟を天界から追放する。
そうしてスサノオが放浪の末に辿り着いたと伝わるのが――――今俺が住んでいるこの、島根だ。













庭を見やれば木の影が長い。
太陽が一番高い位置まで上がるこの時間帯でもこれ・・だ。

この時期の太陽は、夏の、こんもりと高く昇って真上から照り注いでくる様とは違って、まるで「横滑り」するかのような低空軌跡を描く。
夏至の太陽の最高高度が約78度に達するのに対し、冬至ではわずか約32度。

一番高い位置でも、夏至頃のせいぜい半分くらいの高さなのだ。

あらためてよく観察すると「え、こんなに低いのか」と驚く。
そして同時に「ああ、今年も冬が来たんだな」と感じる。

太陽と地球の距離は1年中変わらないのに、地軸の23.4度という角度の違いだけで大きな気候の差が生じるというのが、理屈の上ではわかってもなお不思議だ。






大昔の人々もこんな風に、木や岩の影の長さや太陽の高さで季節を確認していたに違いない。

日本各地を旅していると行く先で縄文時代の遺跡と出会ったが、その中で、日時計――太陽を観測していたと思しき遺構はそう珍しいものではなかった。


東北や北海道では石を円形に並べた環状列石ストーンサークルがよく見られるし(島根県内でも少数ながら確認されている)、岐阜を取材したときに訪れた下呂の岩屋岩蔭遺跡などのように、巨石を組み合わせて夏至や冬至など季節の節目にだけ岩の隙間から光が差し込む構造物も各地に存在する。









でもそんな大層なものがなくても、たとえば今座っているこの母里家の縁側だって、ある種の「太陽観測所」なのだ。






たとえば今、日差しは縁側に座っている俺やリリの「まつげの上」に当たっている。つまり太陽が瞳よりもやや上の位置にあるわけだ。
まぶしいけれど、まつげが庇になるので目を開けていられないほどじゃない。


ところが、冬至の前後数日に限って、正午頃でも太陽の光がまつげの下をくぐり抜けて目に差し込んでくることに昨年気がついた。


『何だか今日、やけにまぶしくない?』
『確かに。いつもはそんなことないのに、どうしてだろう?』


リリとふたりそんな疑問を抱き、光が当たってきらきらと輝くお互いの顔をよく観察し、思考を重ねてたどりついた「ふたりの大発見」だった。



ほんの少し目を細めれば下がったまぶたで日差しが遮られるくらいの絶妙な角度。
冬至を知らせる我が家限定の「日時計」。

今年もあと少しでそんな「観測」ができるだろう。



ちなみにこの一年で他にも、夏至の正午には縁側の屋根の影が沓脱石(縁側の足下にある大きな石)の手前側の縁に重なること、秋分のころには正面に見える山の稜線のぽこっとくぼんだところから日が昇る、ということなども発見している。
季節を知らせる目標は、身の回りの至る所にあるのだ。


それをきっかけに、「旅をし続けるだけでは見えてこない」、ひとつの場所に留まることではじめて気づく物事があることに思い至った。





旅。

元々人類は誕生以来、長く「旅」をしてきた。

食べ物を追いかけて。
あるいはよりよい住処を求めて。
時には天災や気候変動から逃れるように。


だからこそ現在の様に、地球全土に生活圏が広がっているわけだ。
日本列島にヒトがやってきたのも、オオツノジカやナウマンゾウなどの大型動物を追いかけてきたと考えられている。

旅をすることは、ヒトの本能のひとつと言ってもいいかもしれない。
しかし、近年世界的にも注目されている日本の新石器時代「縄文時代」は、ひとつの「旅の終わり」だたっと言えるかもしれない。



世界遺産・大船遺跡 北海道函館市






昭和の頃は「縄文時代は非定住性の狩猟採集生活が営まれていた」と教科書に記載されていたそうだ。
つまり、食べ物を求めてずっと旅をし続けるような生活を送っていたと考えられていた。

しかし加速度的に研究が進んだ現代では、縄文時代の初期段階ですでに定住生活が始まっていたというのが定説となっている。


これは少し考えてみれば当たり前のことで、縄文時代というと土器の発明・使用が最大の特徴なのだが、土器の製作には乾燥工程だけでも最低数週間、季節によっては二か月ほどの定住が必要となる。
乾燥が不十分だと、高温で焼く過程で内部の水分が膨張して粉々になってしまうからだ。

さらに、そうやって苦労して作った壊れやすい上に重く大きな土器を、持ち歩いて常に旅をするというのは現実的ではない。



だから、「土器を用いた生活をしていたこと」それ自体が定住、あるいは定住に近い生活をしていた根拠となるわけだ。


土器の発明と定住の開始、これらは鶏とタマゴのように相互に関係していただろうが、まずある程度食料が安定して手に入る状況が整ったこと=定住が先にあり、それで生じた時間的・生活的猶予によって本格的な土器作りがはじまった——と考えるのが自然だろう。


土器によって手軽に「煮沸調理」ができるようになり、それまでは食べることのできなかったたくさんの「種子系食材」たちが縄文人の食卓に並ぶようになった。

生では食べられないが、加熱すれば高カロリー栄養豊富で味も最高かつ貯蔵も効く食べもの。
イネ類やマメ類、ドングリ、イモ類など————つまりは「主食」の誕生だ。


それに伴い、大豆やイネ、クリなどを集落近くで育てるようにもなった——つまり「栽培」が行われていたことも分かっている。
とはいえ、弥生時代の「農耕」のように土地を造り替えて管理するのではなく、今で言う家庭菜園に近い補助的なものだったようだ。




そして。
「定住」……ひとつの場所に留まるようになったことで、きっと今の俺と同じように生活の中で太陽の位置や影の長さと気候変化の法則性に気づいただろう。
その情報は彼らにとって文字通りの死活問題だったから、集団の中で蓄積され、口伝によって子々孫々受け継がれたはずだ。



「太陽が高くなってあの山の雪が溶けてクマの形が浮き上がる頃に、土にたねをまくといい」
「太陽があの山のてっぺんから昇る時期にはここへ行けばたくさんの木の実が採れる」
「影がこの岩を横切る時期にはこの川へ行けば魚がたくさん獲れる」
「住居の奥深くまで陽光が差し込むようになったら厳しい寒さが来て雪に覆われる。食料確保が困難になるから、それまでに保存食をたくさん準備
するようにしなさい」


と、いうふうに。


そこまで考えて、ちょうど今自分がリリと一緒に没頭しているのもまさに「保存食それ」だったことに気づいた。
冬に入る直前、気温が低く乾燥するこの季節だからこそできる――干し柿作り。








ふうふのおうちキャンプ

二人とも最近お互いの仕事が忙しかったこともあって、今日は一日中家でのんびり過ごす『ふうふおうちキャンプ』とあらかじめ決めていた。

彼女のネーミングは相変わらずおおげさだけど、「仲直り記念日」だとか「お花見デート週間」だとか何年たっても不思議と記憶に残っているので、何気ないとそのとき思っている一日にも特別な名前をつけるというのは、意外と意義深い行為なのかもしれない。


実際、完全なオフは久しぶりだった。

東京での会社勤め時代の俺は、たとえ取材の旅に出たときでも休日はしっかり休んでいた。

入社したばかりの頃はついついやる気が空回りしすぎて日曜でも構わず働いた結果、デスクに追い返されたことがあったことを今もよく覚えている。
休みをきっちり取らないとパフォーマンスが上がらない、プロだからこそ休むべきときにはしっかり休めというのはそのとき叩き込まれた「仕事における基本中の基本」だったはずだ。


だがフリーライターとして独立し母里家の家業である農業も手伝うようになって数年がたった最近は、プライベートと仕事の境界が曖昧になり、自分の裁量でついつい休日を抜かしてしまいがちになっている。
この秋などは丸一日の休息日は一度もとっていなかった気さえする。


あらためて考えると、これはよくない傾向だ。
恐ろしいのは、心身の疲労が蓄積すると判断力が鈍って、効率が落ちていることに「自分自身では気づけなくなる」ところだ。



「おしごといってきまーす」



仕事が忙しいのはリリも同じだった。
彼女は数年前から鳥獣管理の仕事をしている。


鳥獣保護管理とは、環境省の管轄する「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」に則った活動のこと。
一般的には「狩猟法」と呼ばれることが多いが、実際は保護・管理・狩猟の三位一体で、それぞれが密接に関わり合っている。


この法律の原型は大正時代に制定された「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」だ。
これが約100年を経て2002年に改正されることになった際、現代の状況に即して「保護」「狩猟」の間を埋める「管理」の語が付加されたのだ。


野生動物と人間社会との「軋轢」は年を追う毎に増える一方で、そのバランスを調整するために「地域ごと」の「柔軟で繊細で現実的な管理」が喫緊の課題となっている。



リリの仕事はまさにその部分についてのもので、野生鳥獣による農作物や人身被害を事前に予防、あるいは低減させるための調査や対応で奔走している。
最近は近隣自治体の非常勤職員として働く傍ら、大学や地域農協などの依頼で実地調査に出かけることも多い。


クマによる人身被害が昨今急激に増えていることはニュースで多く耳にするが、サルやイノシシ、シカなどの農作物への被害件数はその何十倍何百倍も多く、今なお増加傾向にある。
特に秋の時期は野生動物全般が活発に行動するため依頼が重なり、島根中、ときには県外へも飛び回っていた。


彼女は、生まれつき相貌失認という個性を持っていて、人を顔で見分けるのがとても苦手だ。
親と他人が並んで立っていても見分けられない、と言えばそれが子供の頃からどれくらい深刻な状況だったか痛いほど分かるだろう。それ故、幼い頃の彼女は兄(幸いなことにというべきか、家が過疎地域にあったが故に周囲に兄くらいの年齢の子が他におらず、背格好から容易に判別がついたようだ)以外に心を開くことができなかったそうだ。

俺と出会った頃も顔を覚えられないことでちょっとしたトラブルというか、すれ違いがあったことを今でもよく覚えている。

おそらく今でも、たくさんの人がいる中では俺の顔を見つけることは難しいだろう。
一緒に過ごした時間が長いので、ある程度近い距離にいれば匂いとかほくろの位置だとか髪の生え方だとか瞳の形などで「分かる」そうだが、人の多いところで待ち合わせなどするときは何かしらの「目印」が今も欠かせない。




そんなリリは、動物を外見的特徴で見分けることに非常に長けている。
修学旅行で訪れた奈良公園でシカの群れを見て、一頭一頭すべて区別できたというくらいだから大した特技だと思う。

目視のみならずトレイルカメラ(熱センサーで動物を感知して自動で撮影を開始する野外設置カメラ)の粗い画像などからでも「個体を識別」できるそうで、「映像に頻繁に映っていたクマと捕獲されたクマが同一個体か判別してほしい」というような依頼を受けて、家にいる時でも真剣な表情でPCモニターとにらめっこしていることがある。










最近は、どういうツテか海外の研究機関からもそうした依頼が舞い込むこともあるようだ。

近年様々な分野でAIの発展がめざましい。
動物の個体識別の分野でも同様で、データ数(特に顔の写真)が多い動物に関してはすでに80%以上の精度でAIが判別できるようになってきているという。

たとえば野生動物が人を襲ったケースが起こったとき、次の被害を阻止するために、疑いのある動物を片っ端から排除するのは倫理的にも種の多様性を考える上でも現実的ではない。
そういうときにまず必要なのは「どの個体」が問題を起こしたか特定することだ。


その際にDNA鑑定などの高度な手順を踏まずとも対象個体を特定することができれば、より低リスクかつ迅速に問題を解決することができる。

それでAIによる画像判別の活用が期待されているそうなのだが、まだまだ精度100%とは言えず、先の80%という数字もあくまで「顔のデータ数が多い動物種かつ、鑑定対象の顔が明瞭に映っている場合」に限られるのだとか。



現在のAIによる動物の個体識別は、人間と同じく「顔」認証が主流らしい。
AIに動物の個体識別を学習させるには膨大な画像データが必要だが、「野生動物の全身を個体毎に色々な角度から撮影した画像」を何百、何千と大量に用意するのはすぐには困難なため、すでにある程度存在している「顔が映っている画像」で構築することになるのだろう。

だが、比較的平面に近い人間の顔と違って、鼻先マズルが長かったり毛や髭が長かったりでわずかな角度によって「顔」の印象が大きく変わってしまう動物ではデータ照合が難しいケースも多い。




一方リリの場合はむしろ「顔以外が映っている画像」の方が見分けるのが得意だという。
どうしてそうなのかはリリ自身説明できないというのが彼女らしいが、やはり物心ついたときから人の顔以外の特徴や目印に注目してきたからなんだろうなと俺は思っている。

そんなわけで、AIでは個体識別できなかった動物画像も彼女のもとにしばしば送られてくるようだ。



そうしたことの積み重ねもあって、現在仕事で関わる人からは「動物研究に没頭し過ぎて人間の顔がみんな同じに見えるようになってしまった変わり者」みたいな扱いをされているらしい。
それは決して悪意からのものではなくリスペクトを込めてのものだろうが、そういう認識のされ方は実状とはかけ離れている。

リリの心情が少し心配になったものの、本人は特に気にすることもなく、「なんかマッドサイエンティストみたいな言われようだよね」と屈託無く笑っていた。
「でもね、そのおかげで『むむ、こいつはホンモノの動物好きだ』って一目置かれることもあるんだよ」


彼女としては、顔や名前を覚えられないことで他者を傷つけてしまう心配をしなくていいぶん、変わり者と思われている今の状態の方が精神的にはずいぶんラクらしい。

実務上も、顔を覚えられないリリのために毎回向こうから「○○です」と名乗ってくれたり、作業中名札を欠かさず身につけてくれたりするので最近はとても助かっているのだとか。















さて、そんなこんなで『夫婦おうちキャンプ』……「完全オフかつ家で休養する」ことに決まっている今日。


今はふたりで縁側に並んで、我が家の畑で採れた「西条柿」の皮を剥いているところだ。



この西条柿という品種、元々は広島県の西条町というところが発祥だが、戦国時代に「島根が本拠地だった尼子氏」「広島に本拠を持っていた毛利氏」が覇権争いを繰り広げた結果、毛利氏が勝利した。
その折にこの柿が出雲へも伝わったという。

現在は、島根県が西条柿生産量全国一位となっている。




西条柿とリリさん








残念ながらこの柿は「渋柿」なので、黄色く色づいてもそのまま食べることはできない。
赤く「じゅくじゅく」に柔らかくなるまで置くか、干し柿にするなど何らかの方法で渋を抜く必要がある。

毛利方の武士たちは、西条柿の干し柿を携帯食として持ち歩いていたという。




ちなみに島根県産の西条柿は、「こづち」というブランドで出荷される事も多い。
出雲の主神・大国主の持つという「打ち出の小槌」に外観が似ているというので名付けられたそうだ。

厳密には、打ち出の小槌を持ってるのは七福神の大黒天(ヒンドゥー教のシヴァがモチーフ)なのだが、日本では「大国」「大黒」どちらも「だいこく」と読めることや土地に豊穣をもたらすという共通点から、古くから同一視されている。
それは大社のある出雲においても同様らしい。

出雲は日本神話で有名だから神道中心と思いきや、意外と柔軟な土地のようで、「出雲大社前駅」を有する一畑電車株式会社も、元々は神仏習合の霊場である「一畑寺(一畑薬師)」から「出雲大社」までを結ぶ路線だったそうだ。





橿森神社境内。左隣に見えるのは信長神社 岐阜県岐阜市





そういえば――、リリと訪れた岐阜の橿森神社にも打ち出の小槌の石像があったっけ。
あの時はリリとの今後のことで頭がいっぱいでそこまで気にしていなかったけど、そういえばあれはどういう謂われであそこに設置されていたんだろうか。


そんなことを思いながらふとリリの様子をうかがう。
集中しているようだ。
黙々と柿の皮を剥いている。









こんなふうにあらためて注視すると真剣な表情はとても綺麗で、見慣れたはずのその顔に我知らず見とれてしまった。


「…………」


と、あぶないあぶない。
あまり無防備なところを見せると、からかわれるのが目に見えている。

手元に目を移し、俺も作業を続けよう。










そのまま食べれば、苦いとも痛いともエグいとも違う、まさに「渋い」としか表現できないような強烈な口内不快感が数分、酷い時には数十分つづく「渋柿」。

では、なぜ皮を剥いて干すだけで渋が抜けるのか。
これには科学的な理由がある。



渋柿の渋はタンニンという成分から来るものだ。
このタンニンの性質を「可溶性」から「不溶性」に変化させることができれば渋みはなくなる。

「可溶性」と「不溶性」の違いはこの場合、「舌で感じるかどうか」と言い切ってしまっても的外れではないだろう。


つまり、「渋抜き」とはいうもののその実態は「渋の原因であるタンニンを無くしている」のではなく、「渋みを感じないように変化させている」わけだ。


だから、たとえ甘い柿でも一度にたくさん食べ過ぎると、味覚では感じられない大量のタンニンが胃酸と結合していわゆる「柿胃石※」となってしまうことがあるし、一度渋抜きした柿も加熱すると渋が戻ったりもする。

(※柿胃石で病院に行くと、薬としてごく一般的な「コカコーラ」が処方されると言う嘘みたいで本当の治療法もある。コーラのリン酸や炭酸が胃石を溶かすため、毎日一定量飲むことで治癒が期待できる他、最近では胃カメラを使って胃石に直接コカコーラをかけて溶かす方法も確立されている)


柿に渋があるのは「まだ食べないでね」というアピール。

自然下では、種が成熟すると果実が真っ赤に熟れて渋柿の渋は自然と抜ける。

熟れた柿のあの目立つ「赤さ」は、「種の準備が整ったからもう渋くありませんよ、鳥さん動物さんどうぞこの甘い果実を食べて、中の種を遠くへ運んで下さい」という視覚的メッセージだ。


それでは、自然完熟する前に渋柿の可溶性タンニンを不溶性タンニンに変化させるためにはどうすればいいかといえば、出雲神話における「ヤマタノオロチ」と同じように、「酒で酔わせる」のが科学的な正解となる。


柿は、アルコールに反応するとアセトアルデビドが生じる性質がある。
アセトアルデビドは人間がお酒に酔って顔が赤くなったり二日酔いの原因になる物質だが、柿にも同じ物が発生するわけだ。

そしてこのアセトアルデビドは柿の可溶性タンニンと結合し、不溶性タンニンへと変えてしまう。


たとえば、渋柿にアルコール度数の高いお酒を振りかけて袋に入れ密封しておくと、渋が抜ける。

秋口にお店に並ぶ四角っぽい姿の「種なし柿」は、炭酸ガスが充満する部屋に置いたり、アルコールや焼酎を柿のヘタに塗って密封する「さわし」という手法で渋みを抜いた「元・渋柿」だ。

他にも、「袋に入れてお風呂の残り湯に浮かべておく浸しておく方法」や「硫黄で燻す方法」、「真空状態でパック密閉」など様々な渋抜き方法がある。
柿の種類によって、アルコールには強いけれどお風呂には弱い、というような相性があるのは人間と同じようで面白い。




で、干し柿の場合だがこれは「柿自体から発生するアルコールを利用して渋を抜く手法」となる。

ぶどうやりんごなどの果物を発酵させるとお酒(ワインやりんご酒)や酢(ビネガー)ができることは周知の事実だろう。
これは果実に含まれる天然酵母が糖を分解・発酵することによって起こるが、同様に柿にも豊富な天然酵母が含まれているため、柿酢や柿酒を作ることができる。


だが、干し柿を作る場合は乾燥させることによって「発酵を進行させない」というのがポイントだ。

皮を剥き、表面を乾燥させる。
こうすることで柿内部に発生した天然アルコールを閉じ込め、それがアセトアルデビドになって、可溶性タンニンを不溶性に変化させていく。


これが干し柿が渋くない理由だ。





今、リリと一緒に皮を剥いている西条柿。
剥き終えた後にへたにひもを結んで軒下につるしておけば2、3週間後には干し柿が完成する。

完成時の甘さ(甘度)は砂糖の1.5倍。
控えめに言ってめちゃ甘だ。


皮を剥いて干す、ただそれだけで甘く美味しく食べられる上、何ヶ月も保存可能。
なんとすばらしいことか。人類の叡智の結晶だ。

個人的にも、もうすっかり毎年の楽しみになっている。




干し柿という調理法が一体いつ頃から始まったものか調べてみたことがあるのだが、あまりに古くから食されていたので発祥の経緯は詳しく分かっていないそうだ。
縄文時代や弥生時代の遺跡からも柿の種は見つかっているが、これが熟した柿を食べた痕跡なのか、干し柿だったのかは定かではない。


6世紀の中国の農業書「斉民要術」で干し柿の作り方や渋の抜き方が記されているので、来歴はそれ以前古代に遡ることは間違いない。


いきなり最初から干し柿という加工方法があったわけではなく、元々は木になったままの柿がたまたまうまい具合に乾燥していたのを見つけたのがはじまりだろう。

初期段階の干し柿は、柿の枝を折りそのまま皮を剥いて「枝ごと干していた」のが、段々と「ひもで吊したり」「串に刺したり」して干すようになったのかもしれない。



日本でも奈良時代の平城京木簡にはすでに干し柿の売買記録が残っており、神事で干し柿が供えられた記録もあるほか、人名や地名にも多数登場する。

百人一首にも選ばれている飛鳥時代の歌人・本人麻呂は特に有名だろう。
彼は島根県石見地方の出身とも言われ、高角山(現在の島根県江津市・島の星山)で詠んだ歌も残している。


石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか
(石見の高角山で、木々の隙間から私が手を振っているのが愛する妻には見えただろうか)


しかし、古代~先史時代が舞台となる日本神話には柿の類は登場しない(桃や柑橘などは登場する)ので、柿が「日本の一般的な果実」として定着したのは神話時代が終わった飛鳥時代〜平安時代あたりなのだろう。



そんな「カキ」という言葉の由来は「アカキ=赤い実がなる木」という説がある。
室町から江戸時代にかけての日本では、舶来品である「いちじく」や「トマト」なども熟すと赤くなるので「柿」と呼ばれていた時期があった。


「いちじく」は「蓬莱柿ほうらいし」「唐柿とうがき」「南蛮柿」。
「トマト」は「唐柿とうし」。

このうち、蓬莱柿は今も在来品種の名前として残っていて中国地方では食べられている。




蓬莱柿




特に、出雲の西海岸にある多伎のいちじくは県内で知らない人がいないほど有名だ。

蓬莱柿は見た目が一般的ないちじくよりも薄い色合いなので、はじめてみた時の俺には何の果物かわからなかった。

が、果肉は色も味も濃厚かつフルーティで、種のプチプチ感も際立ってとても美味しい。
皮が薄いので、そのまま丸かぶりできるのも特徴だ。










岐阜の柿

柿といえば、俺とリリが出会った土地——岐阜。
岐阜もまた、柿とは切っても切り離せない場所と言えよう。


たとえば「美濃柿」。

国の名を冠するこの柿は別名を「堂上蜂屋柿」と言う。
最高級の干し柿として平安時代から有名で、源頼朝が親しんだとか、信長が宣教師ルイス・フロイスにプレゼントしたとか、関ヶ原合戦時に家康へ献上されたとか、明治にはパリ万国博覧会に出品されて銀賞を受賞した記録があるとか、とにかく歴史のある名柿だ。



だが、今やそれ以上に有名なのが「富有柿」だろう。

あまりに有名になりすぎて全国各地どころか今や地球の裏側のブラジルでも栽培されているから、もはや「岐阜の特産品」という認識を持つ人は少ないかもしれない。

かくいう自分もその一人で、以前の岐阜の旅でたまたま「富有柿発祥の地」の石碑と原木と出会うことがなかったら今も「富有柿とは一般的な甘柿の総称」くらいの認識でしかいなかっただろう。

しかし紛れもなく富有柿は1892年、岐阜の地において個人の手によって誕生した品種なのだ。












富有柿。
その価値を正しく捉えるためには、柿(カキノキ)という植物そのもののルーツを知る必要があるだろう。

柿の原産地は、日本を含めた東アジア沿岸地域で、それが先史時代から現代に至るまで様々なタイミングで世界各地に広がっていったため――、つまり人々によって運ばれ続けたので、それぞれの土地で独自進化して生まれた固有の甘柿が存在している。


柿の原産地である中国唯一の甘柿品種、湖北省特産の「羅田甜柿」。
アフリカ大陸で進化した超小型甘柿「ジャッカルフルーツ」。
北米先住民の間で先史時代から利用されていた「アメリカガキ(パーシモン)」。
近年イスラエルで栽培されるようになった「トライアンフ※(商標名:シャロンフルーツ)」などがそれだ。

※バイク乗りのサガかトライアンフと聞くとどうしても某単車メーカーを想像してしまう。リリ的には女性向け下着メーカーが思い浮かぶのだそうな。なお、triumphは勝利・成功・凱旋・切り札などを意味する一般名詞らしい



甘柿と一口にいってもいくつかの系統があって、遺伝特質や渋がなくなるメカニズムなどがそれぞれ異なるのだそうだ。


岐阜県の特産品となりつつある超小型甘柿「ベビーパーシモン」






では日本の甘柿の歴史はどうなのか。
これがまたなかなか興味深い。

日本国内には、「一千種類以上の柿」品種があると言われている。
そのうち7割ほどは「渋柿」だ。

それ以外の柿は「不完全渋柿」「不完全甘柿」「完全甘柿」の三種に分類される。


「渋柿」はすでに説明した通り。
次の「不完全渋柿」は、「種の周りだけ渋がなくなる系統」をいう。


その次の「不完全甘柿」というのは、「種が成熟すると果実全体の渋がなくなる柿」。
果皮全体が黄色に色づいた頃には大体種が成熟して渋が抜けているので、フルーツとして普通に食べることができる。
しかし渋の含有があくまでも「種の成熟」に依存するため、土質や環境によって種が少なかったりそもそも種ができなかったりすると、最後まで渋いまま……ということも起こりうるのが特徴だ。



ここまでみてきて、「種」と「渋」の間になにやら相関関係のようなものが感じられるのは、おそらく柿という植物が被食散布、つまり動物に種を運んでもらう繁殖戦略をとってきたためだろう。

種が育ちきるまでに食べられては困る、かといって最後まで食べてもらえず種が運ばれないのも困る。
そこで種の周りだけ甘くなったり、種の準備が整った段階で渋が抜けたりするのだ。

不完全渋柿にしても、人の視点からすれば不完全だが、柿の視点からすれば、鳥獣に種を運んでもらえればいいのだから、種の周りだけを甘くするというのはコストパフォーマンスを考えても非常に理にかなっている。



そして、そんな柿の中の異端児と呼べるものが「完全甘柿」。
「完全甘柿」は種の有無とは一切関係なく渋みが抜けるので、渋を気にせずいつでも美味しく食べられるという特徴がある。

完全甘柿は元々自然界には存在せず、人間が栽培・選別する中で突然変異的に生まれたものだという。







日本の甘柿の発祥は二系統がある。

ひとつは鎌倉時代1214年に神奈川県川崎市で生まれた「禅寺丸」という不完全甘柿。
山の中から偶然発見されたもので、記録上最古の甘柿として知られている。
種さえ入れば(つまりほとんどの果実が)甘くなるこの柿は、渋柿しか存在しなかった当時たいへん話題となって、一時期は特産物として重用されたそうだ。
生産量は少ないものの、現在でも秋になると地域の直売所などに並ぶときく。





もうひとつの発祥は、禅寺丸から数百年後のこと。
江戸時代の大和国(奈良県)においてついにブレイクスルー、「完全甘柿・御所柿ごしょがき」が誕生する。


当時の食物医学書「本朝食鑑」にも「御所柿 其の味ひ絶美なり 以て上品と為す」と見えるほどで、そのあまりの美味しさから種子や枝は全国各地に持ち出されて改良され、爆発的に普及したまさにエポックメイキングな柿だった。

現代日本で食べられている「完全甘柿」の99%以上が多かれ少なかれこの御所柿の遺伝子を受け継いでいる。
そして、その代表的存在こそが何を隠そう岐阜で誕生した「富有柿」なのだ。



富有柿も、元々は江戸時代末期に美濃国居倉おぐら村(現在の岐阜県瑞穂市)の有力者・小倉初衛氏が自分の敷地に植えた御所柿から始まった。

当初は「居倉おぐら御所柿」と呼ばれていたが、明治になって同じ居倉村の農業技術者だった福嶌才治という人がこのうちの一本の木に「これは!」と着目し、その枝をもとに接ぎ木によって栽培を開始。

桃栗三年柿八年ということわざがある柿ではあるが、接ぎ木であれば4年程度で実を結ぶという。



数年後、福嶌氏が選別栽培した柿を品評会に出品したところ、大絶賛で一位を獲得。
評判を呼んで栽培者が増加する中で、「富有」という名もつけられて日本の代表的甘柿となっていった。
(※富有とは中国古典からの引用で「優れた徳が有ればその冨は世界に広がる」という意味を持つ)



そんな富有柿の原木が、岐阜県瑞穂市に現存している。
当初植えられていた場所からは少し離れたところへ移植されており、周囲は静かな住宅街。
木のすぐそばには、天照大神が伊勢神宮に鎮座する前しばらく滞在していたとされる伊久良河宮跡がある。

この伊久良が、居倉という地名の語源だそうだ。
それと関係有るのかないのか、あたりにはやたら「小倉」さんの表札が目についた。



富有柿の原木は、移設後一度は花芽が出ずに枯死したと思われたこともあったそうだがその後持ち直して、俺が訪れた夏も元気に青い実を実らせていたのが印象的だった。





あの旅の中では他にも、郡上八幡で古代地鶏と出会ったり、ひるがのでは在来馬の血を色濃くひく木曽馬と巡り合ったりした。
美濃の富有柿もまた同様に、この先100年、500年、1000年と歴史を紡いでほしいものだ。













御所柿から派生した富有柿。
今ではそこから「さらに派生した柿」というものも多く流通している。

たとえば近年スーパーなどでも見かけることが増えた「太秋柿」もそのひとつ。

太秋柿は、富有柿、次郎柿、花御所柿など名だたる甘柿をかけあわせたサラブレッドのような品種で、主に九州など温暖な地域で多く栽培されている。





シンデレラ太秋






この柿は糖度が上がると皮に「条紋」と呼ばれる渦巻き状の傷が入るため当初こそ「見た目が悪い」と栽培が広がらなかったものの、味が格別に良いことから一部の生産者が丹念に栽培を続けた結果「シンデレラ太秋」などのブランドで知名度が上がり、今では最高ランクのものとなると1個3000円以上の値段がつく高級柿品種となった。





さらに、そんな太秋柿の血を引くさらなる高級柿「ねおスイート」が存在する。
新秋柿と太秋柿の掛け合わせによって生まれた品種で、富有柿発祥の岐阜県において2015年に誕生した。

「ねお」は「根尾」と「ネオ(フランス語の『新しい』)」の意味を兼ねている。

根尾は、かつての地震でズれた「根尾谷断層」や樹齢1500年の「淡墨桜」があることで印象的な土地だが、この地を流れる根尾川が先述の富有柿発祥の地を含めた西美濃の柿主要産地を通っていることが「ねお」の由来なのだそうだ。



富有柿の平均糖度15度前後に対し、ねおスイートの平均糖度は18度以上と非常に甘いのだが、その中でも特に手を掛けこだわって栽培したものは最高糖度25度を超える。
甘いことで有名なぶどうのシャインマスカットが糖度18〜20度ほどなので、25度となるともう想像もつかない。コーラの糖度が17~18度ほどというから、単純計算でその1.5倍ほどの甘さだ。


そんな特別なねおスイートには、特別な名前「天下冨舞」が与えられるという。



一般公募で決まったこの名前の由来は、岐阜の名付け親である織田信長が掲げた政策「天下布武」、それをもじって「手にとった全ての人に冨が舞い込むように」という意味が込められている。
この「天下布武」の中にもさらにグレードがあり、上から「天下人」「大将」「武士」と分類される。


2025年秋、岐阜を本拠地とするスーパーマーケットチェーン・バローにおいて「天下布武・大将」が、3玉 5万円(税別)で数量限定販売されたことが話題になった。


一個約17000円。思わず腰が抜けてしまいそうな価格設定だが、しかし、これで驚いてはいけない。
大将で3個5万円なら、最高ランク・糖度25度超えの「天下布武・天下人」は一体どんな価格がつくのか。



天下布武の競り値ははじめて世に出た2016年で、2個30万円だった。

それだけでも驚きだが、その後も年々過去最高値を上書きしており、先月――2025年11月の初競りでは、なんと「天下冨舞・天下人2個 111万円で落札」というニュースが報じられていた。

なんと1個55万5千円。
消費税を加えるとほぼ60万円。

一口食べるたびに数万円……と考えると、一般人の俺では畏れ多くて喉を通らなそうだ。


てんかふぶとリリさん



もっとも、この破格は「験担ぎ」と「広告・宣伝効果」を兼ねたイベントという側面が強い。

新聞やテレビがこぞって取り上げてくれて地元スーパーとしての名声が上がる上、競り落とした柿を店頭に飾っておけば、「111万円の柿を見に行くついでに買い物していこう」とか「こっちの『天下冨舞・武士2個1000円』を試しに買ってみよう」というような「ついで買い」も見込める。


実際、2個111万円の柿の前に、2個1000円の同じ品種の柿を置かれたら(これでも普通の柿よりずいぶん高級柿だが)ものすごくお安く感じてしまうのもまた、人情なのだ。


それを考えれば、企業にとっては決して無茶すぎる買い物というわけではないのだろう。
「何百万何千万というお金を出してCMを出すよりもコスパ最高!」という見方もできる。



これは「大間のマグロ」と同じだな、と思う。

本州の最北端にある大間港は、北海道南部よりもさらに北に位置する。
ここからは、わずか17・5キロの距離にある函館港とを往来するカーフェリー「津軽海峡フェリー」が出ており、本州から北海道を目指す旅人にとっての聖地のひとつだ。





そんな大間の特産品が「黒いダイアモンド」とも呼ばれる一本釣りされた本マグロで、毎年その「初競り」が大きなニュースになっている。
2021年こそコロナ禍によって一匹2084万円だったものの、例年1億円越えは当たり前で近年では年々高値を更新し、2025年は一匹3億3360万円で競り落とされた。(※追記 2026年はなんと5億1030万円)


落札したのは某寿司チェーンを経営する企業だったが、このマグロは通常価格で店頭で提供するという。
これもやはり、縁起担ぎやご祝儀的側面に加えて、多大な広告効果を期待しての施策なのだろう。



なんとなく、単価を計算してみた。
3億3360万円のマグロは重さ278キロ。
100グラムあたり12万円ということになる。

一方、先ほどの天下冨舞・天下人は1個の重さ300グラム以上。
100グラムあたりの単価は17~18万円ほどか。


おぉ…………柿の方が単価が高いぞ……

驚きとともに、そこまでのブランドに育てるまでの紆余曲折や試行錯誤――アイデア出しや根回し、関係者達の努力などを想像して、その壮大さに身がすくむ思いだった。



ブランドづくりに関しては、フリーライターの自分としても決して他人事ではない。
もちろん、あまりにも大きなスケールと比べるものでもないだろうが、「この分野ならこの人に任せたい」と思われるようなブランドイメージを臆することなく作り上げていくことは、この仕事を長く続けていく上で重要なことだと骨身に染みている。


俺も見習わないとな。









夫婦と花御所

こちらを見るリリさん

「ねえねえ」


不意にリリが声を発した。
一時間ぐらいお互い無言で作業していたことに今更ながら気づく。

手を止めてリリに向き直ると、大きな瞳がじーっと柿を見つめていた。


「なんかこうやってずっと柿の皮を剥いてたら、食べたくなってきちゃうよね」
「あ、ダメだよ食べたら。前もたいへんな目にあったでしょ」


昨年のことだったか、同じ様なことを言って「一口くらい大丈夫だよね?」とつまみ食いした彼女がものすごいうめき声とともに、その後一時間以上水を手放せなかったことを思い出す。
つい「酸欠の魚みたいだ」と口にしてしまい、ものすごく機嫌を損ねてしまったっけ。


リリもさすがに過去の教訓を覚えているのか、


「わ、分かってますけど-。でもさ、こんなに美味しそうなのに食べられないなんて、不思議というか、理不尽というか、罪だよね」
「確かに美味しそうなのは認める」


黄色と橙色の中間くらいの瑞々しい果実。
皮を剥いたばかりでしっとりと水分を含んだ果肉が、地面からの反射光でかすかにキラキラ輝いている。


「あ、そうだ! こないだの花御所ってまだあったっけ」
「あのあと誰も食べてなければ最後の1個が残ってるはず……」
「私とってくるね!」


言うが早いか、むきかけの柿と包丁を傍らの編みかごへ置き、台所へと消えていった。
相変わらず思い立ったら行動の人だなぁ。
そういうところがまた、愛らしいなと素直に思ってしまう。


出会って五年。
当時は二十歳だった彼女ももうまもなく25歳、来年にはあの時の俺と同じ年齢……26歳になる。


あの頃よりもっと可愛く綺麗になっている……と感じるのは、パートナーのひいき目もあるのだろうか。


感じるだけでなく先日ついそれを口に出してしまい、これはまたからかわれるぞと身構えたところ、「とっても嬉しいよ。そう思って欲しくて、いっぱい努力もしてるからね!」といたく嬉しそうに笑って、その後しばらくは少女に戻ったように浮かれていたっけ。

こんなに喜んでくれるなら、多少からかわれたとしても、恥ずかしがらずに今後も素直にリリに気持ちを伝えようと思った一件だった。




一方、内面に関しては、変わった部分変わらない部分どちらもたくさんあると思う。

20歳の頃を振り返ってみれば、リリは当時から年齢の割に大人びてどこか達観したところがあった。
多くの人が意識する必要もなく当たり前にできることができない、そんな経験を幼少の頃から重ねてきた故の諦観だったのだろう。

同時に、言葉を交わす中で子供のように妙に素直なところや悪戯っぽいところが入り交じっていたのでやたら調子がくるわされ、次にどんな言動が飛び出すか分からない彼女の一挙手一投足に振り回されていた記憶がある。

そんな予測できない面白さと、ふとしたときに垣間見える真剣な表情や言葉、考え方に惹かれて、いつしかリリを強く意識するようになっていたっけ。



そうした言動は一見すると今も変わっていない。
相変わらず隙を見せればからかわれるし、真剣な話をしたいときには真っ直ぐに向き合ってくれる。
心の切り替えスイッチが変幻自在だ。

だけど、「その反応がどういう気持ちから来るのか」という根っこの部分が以前とは少し違っているように思う。



元々彼女が他者をからかう理由は、「情報収集」の側面が大きかった……と俺は思っている。

つまり、顔で見分けることのできないから、からかって相手の素の反応を引き出すことで情報を集め、その人が誰かを判別していたのだ。

だから当時、彼女にからかわれているときも、不思議と悪意は感じなかったのだろう。
今振り返るとその奥に必死さというか……「こういう会話が私には大事なことなのです」というような真摯さが隠れていた気がする。



その証拠に、こちらがあまり突っ込んで欲しくない話題だったり気分だったりするとき、リリは拍子抜けするくらいにさっと身を引いてくれた。
そうした他者の心の機微を察する鋭さもまた、普通の人が当たり前にできる顔の判別ができない彼女が、自分なりに磨き培ってきた処世術であり、個性なのだと思う。


そして最近は、この「からかう意味」がおそらく変わっている。


夫婦としてふたり一緒にいる年月を重ねるうちに、言葉にしなくても通じる部分が増えてくる。
今さら「識別のための反応や情報」を俺から引き出す必要もなく、もうからかってこなくてもいいはずなのだが、リリは相変わらずだ。


「最早それが性格になってるから」「単に俺の反応を面白がっているだけ」と最初は考えていたけど、それだけではどうも腑に落ちない。

もしかして、リリが今も俺をからかうのは彼女なりの甘え方……「愛情表現」なんじゃないだろうか。
あの頃のように、「見分けるため」じゃなく——

「今もあなたのことをもっと知りたいですよ」という意思表明。





俺は、リリと結婚を決めたとき、楽しい未来を期待した。
リリとなら、きっと明るくて楽しい未来が待っているはずだと。

それから結婚するまでの間にも色々と、どういう家庭にしていきたいか二人でたくさん語り合った。


世の中には気のおけない仲、という言葉がある。
誤解されがちの言葉だが、「気を置く」は「気を遣う」に近い意味。
「気のおけない仲」とは「気を遣わなくていい仲」のことだ。


一方で、「親しき中にも礼儀あり」という言葉もある。
身近な関係だからこそ、感謝や敬意を大切にすることが関係を長く続けるために肝要だと。


どちらも重要だと思う。
人同士の関係に絶対的な正解なんてものはないのだから、良い関係を続けたければお互い向き合ってほどよいバランスを模索し続けていくしかない。



俺とリリ。
夫婦となって同じ道を歩いているとはいえ、人生はそれぞれのもの。
性別も年齢も生まれ育った環境も違う別々の人間だし、四六時中一緒にいられるわけでもない。

仕事の時間はその最たるものだ。
農作業の繁忙期は家族総出で畑に出るのでずっと一緒にいることもあるけれど、普段は互いの仕事――俺はルポの仕事、リリはフィールドワークへ出かけることがほとんど。
毎日が、「小さな別れ」と「再会」の繰り返しとも言える。


そんな旅路の中で、同じゴールを目指して二人で歩き続けていくために必要なのは、月並みな言葉だがやはり互いが互いを尊重し合うことだと思う。


時には相手に甘えることはあっていい。人間誰しも完璧ではないからだ。
けれど、そんな中でも互いへの敬意をおろそかにしてはいけない。

夫婦という関係性に甘えて「これくらいは当たり前」が増えてしまったら、その歪みは見えないところで取り返しがつかないくらい大きくなって、きっとこの先何十年と一緒に歩み続けていくなんてできないだろう。



重要なのは、日常点検、定期的な確認。
メンテナンス。


それは、よくよく考えればバイクに乗る上でこれまでごく当たり前にしてきたことだ。


定期的にエンジンオイルを換え、チェーンが伸びていれば調整してオイルを注し、タイヤのスリップサインが出れば交換し、点火プラグを換え、時々洗車をする。
ライトやランプは切れていないか。エンジン音はいつも通りか。レバーの動きはどうか。メーターは問題なく動いているか。
走りながらいつもと違うところがないかにも気を配る。ガソリン残量や水温計。


「エンジンを長く好調に保つためには、高級エンジンオイルを入れてたまにしか交換しないより、安いオイルでも定期的に交換することがなにより一番大事」


というのはバイク界隈における常識だ。

オイルに限らず、バイクを長持ちさせるには、定期的な点検・交換が必要で、けれどその定期的というのは乗り方や環境、様々な要因によって変わってしまうから、一概に言えないことが多い。
たとえば365日毎日数キロを乗る人のバイクと、普段は全く乗らず年に数度だけ千キロのツーリングを走る人のバイクでは必要なメンテナンスは大きく異なる。

だからこそ、自分のバイクのための日々の整備点検が重要なのだ。
これまで北海道や岐阜など、仕事で長期間バイク旅に出た時でも、週に一度のメンテナンスは欠かすことがなかった。









これって、夫婦関係においても似たようなことが言えるんじゃないだろうか。
たまに何か大きな軌道修正をやろうとするのじゃなく、日頃からのこまめな整備点検こそが、長持ちの秘訣。


そう。
つまり、リリが俺をからかうのは、互いの距離感や波長を再確認するための彼女なりの「夫婦関係の整備点検メンテナンス」なのかもしれない。
あるいは、関係を円滑に保つという意味で「オイル交換」と喩えても良いかも。と、近頃は思うのだ。




おそらくきっと、リリは意識してやっているわけではないんだろう。
オイル交換にしては頻度がちょっと多すぎる気もするし。


とはいえ……リリには以前から唐突に変な発言や謎の行動をとって、無意識的に最適解を引いていくところがある。

岐阜の旅での、「仲直り記念日」だとか「駆け落ち逃避行」だとか「橿森神社で安産祈願」だとかもそうだったし、そもそもリリの「旅で再会するのもお見合いみたいなものだよね」なんていうぶっ飛んだ発想がなかったら、今俺はここにこうしていなかったかもしれない。


なんだかんだ言って、結婚してからこの4年の間、夫婦関係は間違いなく良好だ。
整備点検メンテナンス」は確かに効果的なのだ。














沈思しているとトタトタと賑やかな足音が戻って来た。


「花御所、花御所、さあ、たべましょ~」

花御所とリリさん
何やら鼻歌混じりで上機嫌だ。
食べる前から味を思い浮かべているんだろう。


小さなまな板とお皿、フォークが二つ、そしてテニスボールくらいの大きさの紙包みひとつを両手で包むように抱えている。

それらをそっと縁側に降ろすと再び俺の隣に腰掛けて、紙包みをほどいていく。すると、西条柿よりも少し四角っぽく色の濃い柿が姿を現す。

リリはかたわらの包丁を再び手にとって、早速この「花御所柿」の皮をむき始めた。




花御所柿の「花」は地名だ。

江戸の終わり頃、鳥取県因幡地域の「花」という村に住んでいた野田五郎助という男が伊勢参りに詣でた帰り、大和の国で食べた「御所柿」の美味しさに感動して枝を持ち帰り、故郷に植えた。

その後「花」の土地に適応して変異し、平均糖度18度とも言われる甘い柿「花御所柿」が誕生した。


同じく御所柿から変異して生まれた岐阜の「富有柿」とは違って、「花御所柿」は他の土地で栽培すると味が変わってしまうため一般普及はせず、今も文字通り鳥取県「花」限定の特産品となっている。


最高糖度21度を超える日本トップクラスの甘柿である花御所は、掛け合わせ品種としても優秀で、先述の「太秋柿」や「天下冨舞」などにもその遺伝子が流れている。




リリが今手にしている花御所柿は、先日俺がルポの仕事で鳥取の因幡を訪れた際に現地で手に入れたものだ。
花は鳥取砂丘から少し山手に入った地域で、現在の鳥取県八頭町にあたる。

かつての地名は「因幡国・郡家こおげ町・花」だったため、「こおげ花御所柿」というブランド名で売られていた。








この柿が特徴的なのは「食べるタイミング」と「その味わい」だろう。
分類上は完全甘柿ではあるが、あまり早く食べ過ぎるとわずかに渋みが残っている。
硬すぎず柔らかすぎず、皮を触ったときにかすかに弾力を感じるくらいが食べ頃だ。


現地で知り合ったおじいさんにその場で試食させて貰ったのだが、めちゃくちゃ甘いのに加えて「肉質はしっかりしているのに噛むと繊維がほぐれて溢れた汁と共にとろける感じ」で思わず顔がほころんでしまった。


強いてあげるなら、マンゴーのような舌触りといえるかもしれない。
決して言い過ぎではなく、実際に糖度も高級マンゴーと同格かそれ以上だ。



「はい、あーん」


不意に声をかけられてリリの方を見ると、俺の前に一口大にカットされた柿が差し出されていた。
先ほどの西条柿と同様に、濃いオレンジ色の瑞々しく艶やかな果肉。
ぱくりと口に入れて噛み締めると、凝縮した甘い果汁が口いっぱいに広がる。


「うん、おいしい」
「ね。美味しいね!」


リリはにこにこしながら、次の柿をフォークで刺して、また俺の顔前に差し出した。


「リリが全部食べていいよ」
「まあまあ、そんなこと言わずに」
「いや、俺はもう十分食べたし、リリが全部食べていいよ」
「えー。せっかくだし、もっと食べようよー?」
「リリへのお土産だから、リリが食べなよ。俺は、食べたいときにまた買ってくればいいしさ」


それは本心だ。
もちろん食べようと思えばまだまだいくらでも食べられるけど、それよりも、リリに楽しんでほしい。リリが美味しそうに食べるところを見ていたい。

不意にリリが座り直して、顔を真っ直ぐこちらに向けた。
先ほどまでのにこにこ顔からは一転して、表情が消えている。

思わず身を正してしまう。


「ねえ」
「うん?」
「キミが私を思って言ってくれているのは百も千も承知の上だけど」
「うん」
「私は、キミと一緒に、美味しいって気持ちをもっと共有したいんだよ。
 美味しいものを食べて美味しいって思うのは幸せだけど、せっかく今日は大切な人がとなりにいるんだから、一緒に美味しいねって笑い合えたら、もっととっても幸せだし、思い出になるでしょ」
「……」
「それで、こんなに美味しくて楽しいお土産を見つけてきてくれてありがとうって、いっぱいキミに伝えたいのです」



怒るでもなく諭すというのでもなく。
淡々と、けれど優しさのこもった言葉だった。

リリの言うことももっともだ。


リリが喜んでくれると俺は嬉しい。
でも、それを常に言葉や態度ではっきりあらわしているわけではない。
表情や空気感で伝わってるはずと思い込みがちだけど、リリからすれば一方通行に感じてしまうこともあるのかもしれない。


一緒に楽しむためのお土産か。
そういう観点は今まであまりもってこなかったかもしれない。

ここは素直に謝ろう。


「察しが悪くて申し訳ない。もっと感動をシェアしよう」
「素直でよろしい。じゃあ……はい、あーん」
「ん。……うん、美味しいな。甘くて、口の中がとろける」
「やったっ! でしょでしょっ! ありがとうっ!」


パアッと花が咲いたように笑顔を見せてくれた。
心が甘くとろけてしまったのも、甘い柿のせいだったことにしておこう。


「じゃ、あ…………、次は口移しで食べさせてあげましょう」


これだよ。


「いや、いいよ。自分で食べる」
「えぇっ」


ものすごく哀しげな表情をするので、演技だと分かっていてもつい慌ててしまう。
とっさに次の言葉に詰まっているそんな俺を見て、リリはこらえきれないという風に一転、笑みをこぼした。


「今日も可愛いねぇ、私の旦那様♪」




顔のリリ






閑話・旅と日常と心のアイドリングタイム

用意した西条柿をすべてむき終えたのは午後1時を回った頃だった。
少し遅めの昼食を済ませると、飲み物やお菓子を用意して再び縁側に戻って来た。


干し柿作りはまだ続く。
この後は、柿のヘタにひもを結びつけて、軒先につり下げる行程だ。
そのためにヘタの部分にはTの字になるように枝を残している。ここにひもを結ぶわけだ。

地域によってはまだ暖かい時期に干し始めるためカビ防止のために一度煮沸消毒するそうだが、我が母里家では柿の収穫時期が他より遅いこともあってじゅうぶん気温が低いため、自然のままに干すのが伝統だ。



「あー、今日は本当にのんびりできるね!」


リリがひもを手に、伸びをしながら呟く。


「そうだね。普段はついつい、ちょっとした時間が空いたときでも『あれができるな、これもできるな』って動いてしまうからなぁ」
「分かるう。後でゆっくりするために!って思って仕事詰めて、けっきょくゆっくりできなかったりするもんね」
「始まりの時間も終わりの時間もきっちり守る! これ即ち時間厳守! ……って、昔どこかの誰かが言っていたような」
「どこの誰かさんでしょうねぇ」


今日の干し柿作りは仕事とは違う。
二人で一日がかりとは言え、あくまで自分達で食べたり、せいぜい知人におすそわけしたりしたりするくらいのささやかな量だ。

これがもっと何百個何千個とあれば話は変わってくるかもしれないが、自分の楽しみとして黙々粛々と誰に強制されるわけでもなくのんびりと単純作業をこなすというのはとてもリラックスができる。
心の一時保存容量キャッシュを取り除くための、いわば瞑想に近いんじゃないだろうか。



それは、バイクツーリングでの移動中とも通じるものがある。

意識することがあまりに多い普段の街中移動とは違って、ツーリングのときは、次の目的地まで信号のない道を数十分、時には何時間も走ることがある。

そういうとき、脳の処理の大部分はもちろん運転に集中しているのだが、一部は解放されていて、自分自身の内側に向き合ったり、素直な心でただ風景に感動したり、あるいはただ無心で道の先を見つめるだけという感覚が起こる。


無我の境地というのとは少し違う。
自我は確かにそこにあって、ただとても穏やかで揺らぎがない。

明鏡止水とか、虚心坦懐といった言葉の方が近いかもしれない。
あるいはバイク乗りとして、「心のアイドリング状態」とでも表現しておこうか。


長旅に出たとき、普段見えていなかったことに向き合えたり、日常とは違う気づきを得られたりするのは、実は移動することで必然的に生じる「心のアイドリング時間」のおかげなんじゃないだろうか。


日常においては常にいっぱいになりがちの、脳の作業領域。
静的稼働状態の「無心時間アイドリングタイム」はそんな脳内で溜まり溜まったキャッシュを、解放してくれるのだ。




そういえば、と思い出す。
ぐるりのライターになったばかりの頃、北海道の取材の中で出会った人から言われた言葉。
もう10年以上前のことで細かなディティールは覚えていないけど、確かこんなニュアンスだったはずだ。


『日常からの逃避や休息として旅をする人も多い。
 真面目な人ほど、それを引け目に感じて自分を責めてしまったりするけど、逃避や休息を通じて自分に向き合うことで、また前を向いて歩き出す力を取り戻すことができるのだから、決して悪いことじゃない。もっとポジティブに感じていい』


『ただ、あなたのように旅と仕事が不可分だったり、旅に自分の生き方を見出している人だと、そこに逃避したり休息することは難しいかもしれない。
 けれどあなたにはバイクがある。だから、思考が煮詰まってどうしようもなくなったら――』



「そういうときは、何も考えずバイクを飛ばして、頭の中を空っぽにすればいいんじゃないですか?」









俺の場合はバイクを無心で走らせることだが、人によって自分にあった「頭の中を空っぽ」にするやり方がきっとあるだろう。

登山やスポーツもいいし、あるいはちょっとした散歩とか、映画を観に行くとか図書館に出かけるとか、パズルを解いたりプラモデルを組み立てたりするとか、きっと色々なかたちで「心のアイドリングタイム」は得られるはずだ。



今この瞬間の、干し柿つくりも同様だった。

脳の回転数は最低限のアイドル状態で、ただ手先にばく然と集中する。
思考は空っぽになって、自由に色々なところを飛び回り、澄んでいく。


この感覚、時間の過ごし方は、今後も意識して大事にしたい。







母里とクマさん

「仕事と言えば、今年の秋は連日クマの出没についてのニュースが話題だったけど、島根はどうだったの?」


幸いなことに、我が家の周辺地域では今年はクマ被害は出ていない。
リリと結婚した翌年あたりは、うちの畑にも出没したっけ。
結構な大騒動になって、あれもリリが今の仕事に進んだきっかけのひとつだったな。

柿にひもを結ぶ手を止めて甘いクッキーをほおばり緩んでいたリリの顔が、にわかに真剣なものになる。


「今年の島根は、クマの報告が少ないよ。去年の半分以下」
「そうなんだ」


ちょっと意外な答えだった。


「東北は出没数も人身被害も過去最多レベルって報道をよく見たけど、どうしてそんなに違いがあるんだろう」
「それはー」


一瞬口を開きかけて。


「……一言では言えませんよ」
「言えませんか」


断定を避けて、慎重に言葉を選んでいる様子のリリ。
きっと色んな人にこうした説明をする機会があるんだろうな。


「ほら、昔から言うでしょ。えーと……そう、チョウチョが風を起こすと――なんだっけ……あ、そうだ。お寺が儲かるって」
「なんかいろいろ混ざってるよ」


とはいえ言いたいことは分かる。
小さな出来事であっても巡り巡って大きな現象につながったり、ある出来事が連鎖的に全く関係がないと思われる場所・物事にまで影響が及ぶ――というたとえ話だったはずだ。


「えっと……うーんと……つまり」
「うん」
「つまり、そう、『原因はこれに間違いない』って言い切ってしまったら、他にいくつもあるかもしれない大切な原因を見落としてしまう気がするんだよね。それくらい分からないことだらけ」
「なるほど」


訊き方を変えよう。


「じゃあ、思い浮かぶ要因をいくつか挙げるとしたら?」
「そうだね。たとえば気温上昇で食べ物が減ったっていうのは理由のひとつだとは思うよ。ほら、八雲のおばあちゃんが年々はちみつが採れなくなってるって言ってたでしょ」
「ああ、親戚の」
「そうそう。女王蜂が全然子供を産まない、働きバチも巣にこもってあまり動かないって」



リリの話では、外気温が30度を超えるとミツバチの巣箱の中の温度は40度を超えるそうだ。

そうなると女王蜂はたまごを産まず、働き蜂も動きを減らす。
人間と同様昆虫も、気温が上がると熱中症に陥る。
そうならないよう、数と活動量を抑えて巣内の温度を下げようとするのだ。

しかし外気温が35度以上となると、巣箱内は高温サウナ状態。
もはや群れの維持すら難しくなり、全滅することすらあるという。

そうしたことが、人の管理するミツバチだけでなく、自然環境下でも起こっているとすれば……



「いろんな虫の活動が減ると、受粉を虫媒に頼っている植物にも影響が出るわけか」
「そう。虫媒花じゃなくても、ブナみたいに暑さに弱い植物もいるし。何かしらの原因で受粉しないまま花が落ちちゃうと秋の実りも減って……」
「実を重要な食糧源としている動物たちにも影響が広がっていく、と」




ふと、「和琴半島のミンミンゼミ」のことを思い出した。

北海道の東部、いわゆる道東は寒い。
その影響で、本州以南の山里で「ミーンミーンと」と鳴く夏の風物詩、ミンミンゼミが生息していない。


が、一箇所だけ例外があって、それが屈斜路湖の和琴半島だった。
湖に突き出た、歩いて十数分で一周できるこの小さな半島は火山活動によって出来たもので、今も温泉があちこちから湧き出ていて、噴気が上がっている場所さえある。
地熱も高く、真冬でも雪が積もらない場所があるくらいだ。

ミンミンゼミの幼虫たちはそんなあたたかな地中で冬を越し、北海道の短い夏をじっくりと待つことができるのだ。


彼らの存在は「大昔、道東が暖かかった頃、ミンミンゼミがありふれていた証明」だ。
その後の寒冷化の最中、幸運にもここへ住み着いていたミンミンゼミだけが生き残り、現代まで命のバトンをつないできた。


長いスパンで見れば、地球の環境というのは変動し続けている。
数万年単位で氷河期と間氷期が繰り返すという話もある。

それぞれの時代ごとに、ほんの数度平均気温が上がったり、下がったりするだけで種の保存が難しくなる、そんなシビアなバランスでその時々の生態系というのは成り立っているのかもしれない。


日本の縄文時代が一万年以上ゆるやかに続いたのも、その期間の大部分が気候の温暖さによって山や森、海が豊かになって食べ物が安定して手に入ったことと無関係ではないだろう。


「てことは、平均気温が上がったことで山のドングリが不作がちになって、それがクマの出没に影響してるのかな。森に食べるものがないからクマが人里に降りてくるって話よく聞くけど」
「地域によって割合は違うだろうけど、大きな要因のひとつだと思う」


リリは何かを思い出すように、少し中空を見上げた。


「たとえば、今年は島根ではクマの出没が少ないんじゃないかなーっていうのは、6月くらいに県が予想発表してたんだよね」
「え、そうなの?」
「うん。結実予測っていって、春から初夏に落ちた雄花の量から豊作か凶作かを予測する方法があるんだけど、今年の山陰はナラの実が豊作予報だったんだよ。東北だとブナの実がクマの重要な食べ物だけど、島根には元々ブナ林が少ないから、コナラとかミズナラの実がカギ植物……秋のクマの主要食料源になってると考えられてる」




リリにもう少し詳しく聞いてみると、東北から東海でクマが生息する山間部は寒冷地を好むブナ林が主体だが、近畿以西ではやや温暖な気候に対応したナラ林やカシ林、シイ林が主体となるそうだ。

そうしたことから近年の気温上昇に対して、ブナ林の多い東日本の山間部に比べれば、西日本のクマにはまだ比較的食料への影響がまだ少ないのかも知れない。



そういえば「ドングリ」って一言に言うけど、カシとかカシワ、ナラ、シイなどの、ブナ科のいろんな木の実の総称だったな。

なお、「ブナの実」はドングリとは呼ばないらしい。
これは「ドングリ」は漢字で「団栗」と書き、あの団子型の丸っこい形状を指して呼んでいるためだろう。
ブナの実は団子と言うより「細長いクリ」といったような形をしている。



「で、予想の結果はどうだったかと言いますと、6月の予報通り、12月時点までで島根のツキノワグマ目撃件数は去年の半分以下だったのです」
「ほへー」


思わず変な声が口から漏れてしまった。

正直、これは盲点だったな。
多くのニュースなどで「全国的にどんぐり不作」と報道されていたのでついつい自分の住む県も、と思ってしまっていたのだが、これは報道の問題点であり課題点でもあるのだろう。

テレビにしろネットにしろニュースとして取り上げられるのは「起こったこと」がほとんどで、「起こらなかったこと」はついつい見逃しがちだ。

以前と比べて国民のクマ出没に対する注目度が上がっているので、それにともなって「ニュースで取り上げられる回数」が増える。

連日のように北海道や東北、東海などのクマ被害が報道されているとつい「日本全国で同じことが起こっている、きっと自分の地域の山も」と連想してしまうが、日本列島は狭いようで広い。
細くて長く、高低差もあって地域差が大きいから、「一概にはいえない」のだ。



「なるほど、そこまで予報が一致しているなら、確かに森の実りの多寡とクマの出没との間に関連性は少なからずあるように思えるね」
「うん。何かしらの因果関係はある、原因のひとつとは言っていいのかなって」


ここでも慎重に言葉を選ぶリリ。


「ただ難しいのはその年の状況だけ見ても実態が見えてこないんだよね」
「というと?」
「豊作だとその年は人里へのクマ出没数が減少する……一方で、妊娠率や出産頭数が上がるというデータがあるのです」
「あ。つまり、翌年以降に個体数が増えるわけか」
「そう。……たぶん来年はクマの目撃数が今年よりずっと増えるんじゃないかな」



目を伏せて押し黙ってしまった。
今後の仕事の忙しさを想像しているのかもしれない。

ちょっと話題を変えよう。



「今年のことだけど、島根では豊作だったということは、人身被害も少なかったのかな」
「うん。ゼロ……だったんだけど、何日か前の新聞で、今年初の怪我人が出たって載ってた。益田市だったかな。伐採したばかりの柿の木のそばで襲われたんだって」
「え、それでも一件だけなのか」
「はい。2024年も一件だったから、数字としては『横ばい』だね」



もちろん怪我人が出たのだから手放しには喜べないけれど、連日のように東北のいたましい人身被害の報道があったから、こっちでもきっと多くの人が被害にあっているものだと勝手に思い込んでしまっていた。
こういう先入観も、ライターの端くれとしてよくなかったな。

重ねて反省しよう。




「益田は目撃数が多いから、最近はクマスプレーを配備している新聞配達所もあるんだよ」
「ああ……島根では今年は去年より少なかったとは言っても、傾向としてはクマの目撃例が増えてきてるのかな」


目撃件数が増加傾向にあるならば、この先いつ一線を超えるかもわからない。


「確かに、何十年も前と比較すると目撃数は増えているけど」


なんだか歯切れが悪い。


「ひと昔前まではクマを見かけても通報までしない人が多かったから、たとえば目撃件数が倍になったからって、実際にクマが倍に増えたのかというと、それはまだ分からないんだよね」
「ああそうか。そういう問題もあるのか」
「うん。それに過去のデータを見ると、2004年に1200件、2010年に1000件、2016年と2020年に1300件から1400件って感じで、数年に一回ペースで出没数が増える年があるんだよね」
「やっぱり豊作凶作とリンクしてるのかな」
「そうしたデータを踏まえて2024年の1500件という数字を考えないといけない。とにかく、慎重に情報を見極める必要があると私は思います」



リリが西条柿を結んだヒモを持ち上げる。


「たとえばうちは、おかげさまで人手があるからこうやって柿を収穫できてるけど、高齢化とか後継者問題で収穫されない柿やビワの木がどんどん増えてる。これも、人里でのクマの目撃数増加と直結してると思う」
「なるほど」


最近、県内をバイクで走っていると、畑の隅などに積み重ねられた木枝をよく見かけた。
伐採された柿やビワ、栗などの木が積み上げられているのだ。

ウチの野菜を出荷している道の駅の直売所でも、今年は柿、特に例年なら出荷しないような小ぶりの柿がやたら大量に並んでいた。
クマの出没を避けるために、普段なら放置している家でもがんばって収穫したのだろう。



「あとは、色々な理由で人間を怖がらないクマが増えてきてる……っていうのも考えられるね」
「そういえば、最近アーバンベアとか新世代クマとかって言葉をよく聞くなぁ」
「もっとも、それって別に今に始まったことじゃないって話もあるんだよ。伝わりやすさ重視で言葉が独り歩きしてるけど、言葉通りのアーバンベアではない、って意見の人もいるし」
「というと?」



リリは柿の皮を剥く手を一度止めて、ゆっくりと言葉を続ける。



「『アーバン型という新しい習性』を持ったわけじゃなくて。昔から『警戒心の薄い人を怖がらないクマ』は一定数いて、そういうクマは猟師さんからすれば格好の獲物だったから真っ先に狩られちゃって、結果的に『警戒心が強く人間に近づかないクマ』ばかりが生き残る状況になってた。
それがクマ猟をする人が減って、以前はすぐに狩られていたイケイケタイプのクマが生き残って、増えて、人里にまで現れるようになっただけなんじゃないかって」
「なるほど。なかなかしっくりくる説かも」



ツキノワグマやヒグマがこれまでなぜ人間を積極的に襲ってこず、むしろ人間から逃げるような行動をとってきたのか。


石器時代の人々は、ナウマンゾウやオオツノジカなど大型の獲物を追いかけて日本に渡ってきた。彼らの狩猟対象にはクマも入っていた。


ヒグマは現在では北海道にしかいないが、縄文時代の初期までは本州にも北海道ヒグマよりも巨大かつ肉食性の強い個体群がかなりの数生息していたことが化石から確認されている。

なぜ彼らが絶滅したのかは謎だが、縄文人による狩猟圧によるものも少なからずあったのだろう。


ヒトとヒグマ。
個体同士で見ればヒグマは圧倒的に強力だが、種で見れば、群れを持たず単独行動をとるクマよりも、罠や飛び道具、猟犬などを駆使して集団で巨大なマンモスさえ獲物にしてしまう「ヒトの群れ」に分がある。


そんな中、ヒトから逃げずに積極的に近づいてくる性質を持った攻撃性の高いタイプのクマは、「ヒトの群れ」からすればむしろ「絶好の獲物」だったはずだ。

これはヒグマだけじゃなくツキノワグマにしても同様で、結果的に、「人に対して警戒心が強く慎重な個体」だけが生き残り連綿と子孫を残した結果、それが種全体の特性となっていった。


イヌという動物は野生のオオカミの中から「人間に友好的な個体を選び続けて生まれた種」というが、ツキノワグマの場合は「人間に対して攻撃的な個体が優先淘汰された種」とも言えるだろう。


そう考えれば、ヒトを恐れないアーバンベアというのは都会的な字面とは裏腹に、先祖返りのようなものなのかもしれない。


「『人の生活圏に定着する習性を持つクマが増えている』というよりどっちかというと、『人を恐れないので、結果的に人の生活圏に現れてしまうクマが増えている』っていうほうが実態に近いわけか」
「あくまでそういう考え方もあるって話だけどね。もちろん、言葉通りのアーバンベアが出現している可能性だってある」


リリは一拍言葉を置いてから、


「ここからは私の意見だけど。クマ一頭一頭にも個性とかそれぞれの事情とかその時々の気分があると思うんだよね」
「うん」
「食べ物がないから仕方なく人里に降りてくるクマ、食べ物を探していてふらっと人里に迷い込んでしまったクマ、より美味しい食べ物を求めてリスクをとって人前に現れるクマ、そもそも人間を恐れていないので積極的に人里に侵攻するクマ、好奇心だけで何も考えてないクマ。
色々いるから、全部まとめて『クマの性格はこう』とは言えないし、言いたくはない。ただ、過去の統計や研究データを元に『こういう傾向がある』と言うことはできる」

リリは何かを思い出すように少し言葉をとめて、また話し出した。



「海外の論文なんだけど。スウェーデンのヒグマの一部には、繁殖期にだけ人間の生活圏に近いところでメスが子育てをする習性が見られるんだって」
「え、変わった習性だね。何か理由でもあるのかな」
「発情期のオスヒグマに、子グマを襲う習性があるのは知ってる?」
「それは何かで聞いたことあるな」


ヒグマの母は、産んだ子グマと一年から長い時には三年近く一緒に行動する。
子どもを育てている母グマは、繁殖期が来ても発情しない。
そこでオスグマは自分の遺伝子を残すために子グマを襲うのだという。

これに対して、当然母グマは全力で対抗する。
が、基本的にオスグマの方が体が大きいため、一定の割合でオスグマの攻撃を阻止しきれず、子供を失ってしまうようだ。


子連れの母グマが非常に危険だという話は割と一般的だが、その一番の理由は種族自体が持つこの特性から来るものなのだろう。


「それを避けてるんじゃないかって論文では推測してた。スウェーデンの森での子グマの死亡率のうちオスグマの攻撃によるものは3割にのぼるらしいんだけど、人の生活圏に近いところだとこれが激減するんだって」
「つまり、母グマからすると人間よりも同族のオスグマの方がもっと脅威だから、クマ除けとして人の生活圏を利用している……のかな?」
「本当の気持ちはそのクマにしか分からないけど、発情期が過ぎてオスグマに襲われる危険が無くなると人里を避けて森の奥に移るそうだから、そういう見方ができるかもしれないね」


『人を恐れない』ではなく、『人よりも危険なものから逃れるためにリスクを承知で』アーバンベアとなる。
そういうケースもあるわけか。


子グマの生存率が仮に三割増えるということは、数年後、成獣の数が三割増えるということで、人の存在そのものが間接的にクマの総数を増やしているということでもある。
そして、若い頃に母クマと一緒に人の生活圏で暮らした彼ら彼女らもまた、人の生活圏へ近づく戦略をとる可能性が高い。


日本のヒグマやツキノワグマもこの論文データと同様だとするならば、昨今の人里への大量出没の原因のひとつはここにもあるのかもしれない。




「…………なんというか、本当に単純じゃないというか。一言では言えないんだね」
「ですです。それに、きっとまだまだ分かっていないこともいっぱいだと思う」




今起きていることを知り、考え、対処すること。
将来的な状況改善に向けて原因を探り、長期的な対策を模索すること。


これらは本質的には切っては切り離せないものだが、目の前にある問題を解決する際には、別個に切り分けて考えるべきものなのかもしれない。
科学的・客観的なデータを長期的にとりつつ、それとは別に現実として、「今日できる対処」をし続ける。



クマ鈴の議論ひとつとってもそうだ。
「山の中においてクマ鈴を鳴らすこと」についての是非が、近年少なからず議論されるようになってきた。


登山者や渓流釣りなど山に入る趣味を持つ人の多くが、以前からクマ除け鈴を身につけてきた。
もっと遡れば、古く修験者や山伏が持つ錫杖もクマ除けの機能を持っていた。

「クマ除け」とは言うがこうしたものは、本来「バッタリ遭遇」を避けるための装備だ。


クマの持つ「ヒトとの接触を避ける」性質を利用した対策。
実際に近年まで、山の中で人間を積極的に狙って襲ってくるクマはほとんど見られなかった。


山中でのクマによる被害の多くは、見通しの悪い場所でお互い気づかないまま近距離で遭遇した状況で興奮したクマに攻撃されたものとされてきた。

だからそうしたバッタリ遭遇さえしなければ、つまり事前にクマに人間の存在を知らせれば、クマの方から人を避けて遠ざかっていく。
鈴に限らず、ラジオを流すとか大声で会話しながら歩くとか、とにかく人間の接近をいち早く伝えることが効果的だ、というのが山を歩く上での基本の考え方だった。


だがここ数年、爆発的な人的被害増加によって、これを否定する意見が増えてきた。

クマ鈴は人間の存在を報せるもの。
これでは人間を恐れないクマにとっては効果がないし、むしろクマ鈴を「獲物が来た合図」と認識して近づいてくるおそれがある、と。



難しい問題だ。
確かに、原因はともかく人間に近づくクマが増えていること自体は確かだろう。


今年2025年の夏、羅臼岳で起こったヒグマによる登山者の死亡事故は青天の霹靂だった。
知床半島ではここ数十年以上ヒグマによる死者は無く、人身被害も不意の遭遇による突発的な怪我を除けばほとんど起こらなかったからだ。

事故を起こしたヒグマも、地元では以前から知られる、何度も子育てに成功してきた個体で、これまでは何年もずっと人間に無関心だったという。



今回が特別イレギュラーな事態だったのか、気候の変化やオーバーツーリズムなど様々な問題によって状況が急激に変わりつつあるのか。
被害者は当時トレイルランニングを行っていたためクマが避けるまもなくバッタリ遭遇してしまったという話もあるが、これもその瞬間を誰も見ていない以上想像の域を出ず、はっきりとしたことは言えない。


ただこうした大きな事件をニュースで耳にするとつい、「人間にたいして明らかな攻撃性を持ったクマが増えてきたんじゃないか=山中でのクマ鈴は無意味あるいは逆効果になるんじゃないか」という印象を抱いてしまいがちだ。



しかし、統計上では昨今の人身被害の七割以上は市街地や人里、家の庭や車庫など「人の生活圏内」におけるもの。
これに対し、山間部での事故は三割以下にとどまる。

しかも、この三割のほとんどを林業・山菜取り・キノコ狩り中の被害が占め、登山や釣りなどのレジャー中の事故例は一割以下となっている。
クマによる人身被害全体の三割の、さらに一割以下。被害全体数が250人とすれば、5人~10人ほどの計算だ。

日本全体で年間延べ1千万人とも言われる登山者数に対してこの数字は、意外なほど少ない。


林業や、山菜採りやキノコ狩りは登山道から外れた場所で行う上、しゃがんで目立たず、音もあまりたてない作業時間があるため不意の遭遇が起こりやすいと考えられる。


登山中に「クマ鈴を鳴らしてもクマが逃げなかった」事例はあっても、「クマ鈴が原因でクマに襲われた」という明確な事例がこれまでに確認されていない以上はやはり、山中においてクマ鈴(に限らず鳴り物)は「至近距離でのばったり遭遇を防ぐために身につけておいた方がいい」装備のひとつと言えるんじゃないだろうか。



とはいえ…………




「けっきょく、動物も個性があるからね。どこまで言ってもこれこそ絶対!っていう正解はないって、私は思うんだよね」


思考にふけっていると、まるで俺の思考の先を繋ぐようにリリがぽつりと呟いた。



リリは、動物一頭一頭を見分けるのが得意だ。
そのせいか、動物の生態に関しても個性――「個体差」というものを誰よりも重視している気がする。
だから「○○という生き物は、こうだ」と全部をまとめて定義するのは、抵抗があるんだろう。


ヒトは基本的に、「○○は□□だ」という風に情報を単純化する傾向にある。
それは、脳の高度な処理によるものだという。

情報をすべて「生」のまま記憶しておくのは使い勝手が悪い。
考える事が膨れあがってしまって動けなくなる。
だから、傾向をまとめて記号化する。


こういう相手にはこういうふうに接する。
こういう場所ではこういう態度をとる。
こういう状況ではこういうふうに対処する。


そんなふうにある程度単純に捉え、行動を簡略化することで、いくらかの「正確さ」は失われるものの実務において圧倒的に「役に立つ」。
これによって反射的に素早く動き出すことができるわけだ。


とはいえ、どんな事象にもセオリーから外れた例外があるように、動物にも、傾向から外れた変わり者はいる。
この動物は臆病だから、人を避けるから、という先入観はおおむね役に立つけれど、稀にそれによって足をすくわれることもあるのだ。



たとえば、クマやイノシシと比べてシカを危険だと思う人は少ないだろう。
草食動物だし、奈良公園の鹿のように状況によっては人間社会と共存も可能だ。

しかし、秋の牡鹿は繁殖期で気が荒く、危険性が跳ね上がる。
先述の奈良公園ですら、2024年秋だけでシカの角に刺された人が50人以上に上っている。

野生鹿の体重は時には100キロに及ぶこともあり、その鋭い角で人が胸を突かれれば容易に心臓にまで達する。
実際、そうした鹿による死亡・重症事故が、少ないながらも毎年どこかで起きているのだ。


リリの言うとおり、絶対の正解というものはない。




「そういえば」

ふと、以前から気になっていたことを思いだし、この機会に聞いてみることにした。

「うん?」
「放獣ってあるよね。捕まえたクマをその場で処分せずに、山の奥で逃がすってやつ。あれってどれくらい効果があるんだろう」
「それも一言では難しいけど。法律上そうしないといけないって決まってる場合もあるし、学習を期待して行う場合もあるよ」
「学習?」



リリは次の柿のへたにくるくると器用にひもを結びながら答えてくれる。


「キミは、匹見の方には行ったことある?」
「うん。自然が豊かなところだよね」


匹見町






匹見は、島根の中でも特に山深い、秘境と言ってもいいような場所だ。日本最西端の豪雪地帯としても知られ、県最高峰・恐羅漢山を有する。

この地域に人が住み始めたのは非常に古く、2万3000年前の旧石器時代の遺跡を皮切りにたくさんの縄文遺跡が点在する一方で、1960年代には今では国家的問題となっている「過疎」という言葉が生まれ、そして全国的に取りざたされるようになった「過疎発祥の地」でもある。


きっかけは昭和38年1月に起こった大豪雪(三八豪雪)で、4メートルを超える積雪によって一ヶ月もの間町が孤立。その雪は7月まで残るほどだったという。
その後、わずか5年の間に7000人以上いた町の人口のうち、2000人が流出。

これを苦慮した当時の町長が、国会やマスコミに陳情を行い「過疎対策法」を成立させ、「過疎」という言葉が一般的に知られるようになった。




表匹見峡






「自然が豊かなぶん、匹見は昔からツキノワグマが多くて。そのせいもあって、錯誤がよく起きるんだよね」
「サクゴ?」
「たとえばイノシシ用のワナに間違ってクマが掛かっちゃったりすること」
「ああ、錯誤捕獲のことか」
「そうそう。狩猟法だと獲ってはいけない動物がかかった場合、ワナを仕掛けた人が責任を持ってその動物を逃がす、つまり放獣しないといけないでしょ。でも、クマの場合はそれはとっても危険で難しい」
「確かに」
「匹見では、動物保護団体が地元の役所とか住民のひとたちと協力して、けっこう長いこと錯誤捕獲したクマの放獣活動を続けていたんだよね。20年以上前からだったかな」
「そうなんだ。効果はあったのかな」
「学習放獣って言って、音とか、震動とか、唐辛子スプレーとかで人間は危険だぞって教え込んでから放獣してたんだって。戻ってこないクマが半分以上だけど、懲りずに戻って来るクマも何割かはいたそうだよ」
「一定の効果はあり……って感じか」
「学習放獣は直接的な効果だけじゃなくて、捕獲したクマから他のクマへの『人間への警戒心』という学習伝播を期待したものでもあるからね。特にそのクマがメスだったら、その子供、さらに次の子供へと人間を避ける行動が世代間で広く伝わっていく効果が見込める」



なるほど。放獣は見方によっては単に愛護の意識のためのものと誤解されがちだが、決してそうではないわけか。



「とはいえ……その場所には現れないけど、別の場所には出現したって例もあるから。人ではなく、場所を学習しているんじゃないかという意見もあるね」
「つまり、そういうクマは『人間は危険だ』ではなく、あくまでも『この場所は危険だ』って学習してるわけか」




リリは、何かを思い出すようにちょっと言葉をとめてから、また口を開いた。



「学習といえば……何年か前、忍者グマって呼ばれるクマが話題になってたの、覚えてる?」
「うん。別海のOSO18だな。2019年頃から2023年まで、別海町を中心に酪農家に多大な被害を与えたヒグマ個体だ。コードネームのOSOは地名オソウシから、18は足跡の長さからだったはず」
「…………」
「ん? どうかした」
「……さすが、キミは北海道の話題は本当に詳しいね」


ちょっと呆れたように笑うリリ。

OSO18は、非常に巧妙に活動しており、ハンターが活動する朝夕には動かず、ワナにもかからず、写真等にもほとんど写らなかった。
神出鬼没と言えるほど広い範囲を転々と移動し続け、各地で襲った牛の数は66頭に及び、そのうち32頭は死亡している。一方で、人を襲うことは一度もなかった。


慎重すぎるほどに慎重。
そんな習性から、「忍者グマ」と呼ばれて話題となったのだ。

しかし、2022年8月に厚岸町の農場で一匹の乳牛を襲ったことで、忍者グマの運命は大きく転換する。

リオンと名付けられていたこの若牛はとにかく気性が荒かったらしい。
ある朝血まみれで発見されたリオンは肩口に噛まれた跡はあったものの生存しており、その尖った角にはヒグマの体毛が残っていた。
この体毛は、後のDNA鑑定でOSO18のものと判明する。


これ以降、OSO18による被害はぱたりと収まり(確認される限りは翌年に牛一頭のみ)、その痕跡は長く途絶えた。



「最初は乳牛をたくさん襲っていたのに、たった一度反撃されてからは極端に行動を控えるようになった。警戒心が本当に強かったんだろうね」



そしてリオン襲撃から約一年後の2023年7月、釧路町の牧草地に現れた大きなヒグマをハンターが駆除し、ジビエ用食肉として流通したが、後にこの個体こそがOSO18だったと判明する。


目立つ牧草地で、ハンターを前に逃げたり姿を隠すこともなく。

それまでの慎重さとはかけ離れた行動に、撃った人物も買い取った業者もまさかそれが世間を騒がせたOSO18だとは気づかなかったという。
もし、OSO18が慎重な行動を続けていたなら、人は最後までその足跡を捉えることはできなかったかもしれない。


買い取った食肉業者の証言では、毛も薄く胃の内容も空で、高齢の個体に見えたという。

高い学習能力と慎重さ、警戒心があるからこそ、たった一度の失敗で身動きが取れなくなったのだろうか。
かといって一度牛肉の味を知ってしまった以上、あるいはヒグマが本能として持つ強い執着心によって、本来の生息地である森の奥での雑食生活に戻ることもできず、また人の生活圏へ出てきてしまったのかもしれない。


高い理性や知性を持っていたとしても、ときに本能にあらがえず不合理な行動をしてしまう。
それは人間にも通じるものがあるようにも思える。



自然の中に神を見出し生活した北海道のアイヌも、一般的なヒグマはキムンカムイ(山の神)、一度でも人里を襲ったクマはウェンカムイ(悪い神)として明確に区別していたという。
ウェンカムイが現れれば里の力を結集して仕留め、打ち倒した後もその肉を口にすることはなかったそうだ。


自然界のあらゆるものを神からの贈り物と考えたアイヌはヒグマについても、神の魂が、クマの毛皮と肉をまとって地上に降りた姿だと捉えた。
だからそれを食べて祀ることで、その神が再び神の国へと還って、いつかまた地上に降り、恵みをもたらしてくれると考えたわけだ。

食べないということはつまり、そこで悪い神の輪廻を断ち切るということ。



たくさんの牛を襲って大きな被害を出した一方で、最後まで人間を襲うことはなかったOSO18は……、どうなんだろうか。

大切に育てた牛たちの命を奪われた酪農家や、数年間恐怖に怯えた地元住民からすれば間違いなく悪い神だったはずだ。


一方で、ジビエとしてOSO18が提供された店には「食べたい」という問い合わせが殺到したという。
ある店では、「人を襲った熊ではないから安心した」としつつ「アイヌの関係者にお清めをしてもらった」とも言う。

北海道内の他、東京や関西の料理店などにも発送されたというOSO18。
そればかりか、一時期は大手ECサイト(ネットショップ)でも販売されて全国の誰でも購入できたそうだ。


これは何が正しいというより、立場や当事者意識の違いによって物事の捉え方は大きく異なるということのあらわれなのだろう。







母里と母鹿

だいぶ脱線してしまった。
リリの仕事の話に戻そう。


「島根の話に戻るけど、今年はクマの出没や被害は去年よりも少なかったんだよね?」
「うん」
「てことは、リリが今年の秋忙しく飛び回っていたのは、クマよりも他の動物の問題だったわけだ」
「そそ。イノシシとか、アライグマとか、タヌキとか、おサルとか……あと、シカも年々増えてきてるよ。あのさ、シカって、島根だとちょっと昔まで絶滅寸前だったって、知ってる?」
「え、そうなの?意外だ」
「だよね、私もこの仕事はじめてから知ってちょっとびっくりしたよ」



島根県内には明治時代まではニホンオオカミ、ニホンアシカ、ニホンカワウソ、ニホンカモシカなどが生息していたが、現在はすべて絶滅している。

リリの話によると、ニホンジカもまた、昭和初期には絶滅寸前まで数を減らしていたという。



奈良時代の公的文書である「出雲国風土記」では、出雲国内(現在の島根県東部)各地域に生息している動物の記述があり、当時から出雲全域にニホンジカが生息していたことが見える。


県内には、秋鹿郡のように地域名に鹿の字がつく土地がある上、古墳時代に造られた鹿型埴輪「見返りの鹿」が出土(松江市の「八雲立つ風土記の丘」にて拝観することができる)しているほどだ。
「見返り」はシカが周囲を警戒するために行う動作で、これを制作した人にとってシカという動物が見慣れたものだった事が分かる。




松江市「八雲立つ出雲の丘」にて






しかしそれにもかかわらず、昭和初期頃には島根半島北西部、つまり出雲大社から北側の山間部のわずか63平方キロメートルにのみごく少数を残すだけで、それ以外の島根県全域においてほぼ絶滅状態までいったそうだ。



その後、年間50頭ほどに制限しつつ狩猟は許可されていたものの、正確な数が把握できないことから絶滅を防ぐためにと1972年に狩猟が禁じられるようになったところ、ここから鹿の数が急増した。

1977年には深刻な獣害が発生するようになり、特に造林業で数千万円規模の被害が出たために、有害捕獲が開始された。



絶滅危惧故の捕獲禁止から、たった5年で今度は有害捕獲。
手のひら返しも甚だしいが、鹿の繁殖力が人の予測を遥かに超えていたという見方もできる。


その後は年間50頭以上を捕獲することである程度頭数が安定したものの、令和の現在に至っては年間500頭捕獲しても一向に鹿が減らないという、鹿過密地帯になってしまっているそうだ。

とはいえ、獣害については2000年頃のピーク時には年間5千万円ほどに昇った農林業への被害金額が今は200万円程度まで減少しているというので、ひとときの均衡は保たれているのかもしれない。








ただ、これは島根半島北西部(出雲市側)の話で、一時期は絶滅していた島根半島北東部(松江市側)においても近年は鹿が大きく個体数を増やしている。


島根半島西側の北山山地と、東側の湖北山地の間は平野で分かれてはいるものの、その幅は狭いところでせいぜい数百メートルほどのため、横断して生息域が広がったのだろう。

2000年頃までは年に数頭から数十頭の捕獲だったのが、2013年のピーク時には1500頭を超えてしまっている。その後は少しずつ安定してきているようだがまだまだ獣害による問題が山積みのようだ。




「とはいっても、島根半島って北側は海だし、南側は宍道湖、中海、あとは市街地で壁になってるから、鹿にとっては陸の孤島状態なんだよね」
「ああ、確かに。よそに広がったり、逆によそから入ってくることはほぼないわけか」
「はい。それに引きかえー、中国山地の方はどうだと思う?」
「うあ、そうか。島根では絶滅したって言っても、広島や山口には鹿がいるわけだから……」



島根南部の山間部において、一時期は絶滅して姿が見られなくなったニホンジカだったが、その後も2000年頃までは年間数頭が確認されていたという。

多くは県境付近だったため、隣接する広島県側から山伝いに入ってきた個体だと考えられたが、その数はごく少なかったそうだ。
それがいつからか急激に数を増し、現在では年間300頭以上が継続捕獲されてなお増え続けるほどまでになっているという。










シカは、俺達夫婦にとって特別な動物だ。

リリと結婚して間もない頃、怪我をしたシカが我が家の畑に迷い込んできたことがあった。
そういえばあの時もお義父さんが、このあたりでシカはけっこう珍しい、と言っていたっけ。


山裾にある畑の隅の小さな木陰にうずくまってただじっとしているシカ。
作物への被害を心配しつつも少し様子を見ようと放っておいたら、その後1週間ほど居着いてしまった。

お互い何をするでもなく、ただそこにいる。
不思議な距離感が続いたある日、ふと気づくと、子鹿が生まれていた。
そしてさらに数日後、シカ親子の姿はなくなった。


ただそれだけの話だったのだが、なんとなく心にあたたかいものを感じて、結婚したばかりの俺達にとっての楽しい思い出のひとつとなった。



が、話はそれで終わらなかった。
それから数週間した頃、家の前の道を軽トラに乗って通りがかった猟師のトビ子さんとばったり出会った。
一人暮らしのけっこう高齢のおばあさんなのだが、背も真っ直ぐで眼光も鋭く、年齢を感じさせない……正直ちょっと怖い雰囲気の女性だ。
俺の姉貴にちょっと似て…………いや、なんでもない。


ちょうど獲物を捕まえたばかりなのか、後ろの荷台には何か大きなものにブルーシートがかけられている。


話によれば隣の集落で農作物の被害が多発したため獣害駆除の要請を受けて括りワナ(脚に輪状のワイヤーを引っかけるタイプの罠)を仕掛けたところ、鹿がかかったのだと言う。
ワナのせいで脚が折れたのか、立つ事もできない様子だったそうだ。


まだ乳の出ている母ジカで、近くには子鹿もいて、とどめを刺すときもずっと見ていたのだといつものぶっきらぼうな様子と比べて少し疲れたような声色で呟いていた。
路傍に車を停めたトビさんは、車を降りてブルーシートに手を掛ける。



「とりあえず沢で血抜きだけした。今からバラすから、あとでアンタらにも分けてやろうかい」


そう言いながらブルーシートを少しまくる。
鹿の遺体がそこに横たわっていた。


「あ!」


とリリが小さな声をあげたのが聞こえた。
トビ子さんはそれに気づかなかったようで言葉を続けた。


「ただねぇ……、コイツじゃなかったんよなぁ」
「え?」
「例の畑を荒らしていたヤツ……カメラに写っていたのは牡鹿だったからね。コイツはたぶん、たまたま畑の横を通りがかっただけだったんだろなぁ」
「そうですか……」
「逃がす手もあったんだけど、脚が折れてたし相当弱っててね。はあ……」


歯切れ悪く、ため息をつきながらシカの体に再びシートをかぶせた。


「あの、今回はお裾分け遠慮しておきます」
「ほう。そうかい」
「ええ」


トビ子さんは俺の顔と、リリの様子を代わる代わるじっと見て、不意に、


「コイツと顔見知りだったの?」


と言った。
俺も不思議とその会話を不自然と感じず、


「ええ。うちの畑でよく見かけていたシカで」


そう答えていた。
すると彼女はあらためてリリと、俺と、シカとを順番に見やった後、ゆっくりとひとつうなずいて。


「母里さんの孫らしいわねぇ」


なつかしそうな顔でそう言った。
いつも怖そうに見えるその表情が、ほんの一瞬あどけなく緩んだように見えた。


「え?」
「すまんかったね。アンタら、今度一緒にウチにおいで」

トビ子さんは何かを納得したように、ぺこりと小さく頭を下げてそう言い残し、再び車に乗り込んで立ち去く。



トビ子さんの軽トラはやがてカーブを曲がって見えなくなった。

リリは先ほどから俺の服の袖を強く掴んでいる。
そっとその顔を浮かべると、目に涙を浮かべていた。
言葉はなく、ただ小さく震えて、感情を押し殺しているようだった。
俺も黙って、ただただ彼女のそばに寄り添い続けた。


トビ子さんの言葉から推測しただけの俺とは違って……
リリには一目ですぐに分かったのだろう。
「あのときの母鹿だ」と。



その夜、気持ちが落ち着いた後、リリと色々な話をした。

シカのお腹が大きいことに最初から気づいていて、同じくこれから母親になるかもしれない自分を重ねて親近感を抱いていたこと。
だからできるだけそっとしておこうと見守っていたこと。
子鹿が生まれて、それがまるで自分達の未来のようで嬉しかったこと。

けれど、今回の結果は、「そのせい」で起こったことかもしれないと思ってしまったこと。



もし、自分達のせいであのシカ母子が「人間は脅威ではない」「人間の畑のそばは危険ではない」と考えてしまったのだとしたら。
あのときすぐに畑から追い立てて森に返していれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。

そんな思いで押し潰されそうになってしまったと。











この一件が、リリが鳥獣管理の道を選んだ一番大きなきっかけだったのだと思う。

それまでのリリは動物園への就職を模索していて、県内外複数の施設で面接を受けるところまで進んでいた。ある施設からは、来期に新規職員の募集が入るのでそのときに是非、という話ももらっていたと聞く。
そこからの大きな方向転換。
リリ自身も、思ってもみなかった自身の変化だっただろう。


『人間と野生動物のよりよい関係を、現実的に模索する』


それが彼女の仕事に対する根幹の指針となっている。




後日聞いたところではあのときの母シカは、けっきょく食用とせずに土に埋めて供養したそうだ。
食べることが供養という考え方も当然あったはずだが、そうはしなかったのは、トビ子さん曰く「なんかそういう気にならなかった」とのこと。



最初から獲る目的だった対象ではなく、間違って獲ってしまった獲物に対する配慮。

こうした心の落ち付け所というのは、決して綺麗事ではないはずだ。
もちろん「もったいないからありがたくいただく」という考え方も間違いではなく、心が納得する形はその時々で違うことだろう。


たとえば食前に、命に対して「いただきます」という感謝の言葉を口にするのは素晴らしい日本文化だが、これもまたひとつの「心の落ち着け方」という側面がある。


自分以外の生物、時には非生物に対しても感情移入してしまう人間という生き物にとって、他の命を奪って食べるという行為は元来あまりにも重たい行為だ。
それを常に意識すれば、時には精神が押し潰されてしまう。

動物側がたとえ何も思っていなかったとしても、あるいは強い者に食べられることは仕方のないことだと受け入れていたとしてもだ。


だから古来より、儀式を通じて食べた命を神に祀ったり、供養し感謝を捧げることで、「これは自然の大きな流れに沿った行為だ」と心を落ち着けてきた。

あるいは現代においては論理的、科学的知見によって、「これが生存競争であり当然なことだ」と納得しようともする。


「いただきます」は、普遍的な「心を穏やかに整えてくれる感謝の儀式」なのだろう。
けれど、それも決して万応の免罪符ではない。


「いただきます」で覆えないときもある。
どんなに理屈や感謝で自分自身を納得させようとしても、時には心が納得できずに食べることができないこともある、それもまた、人間の自然な感情だと思う。

あのときのトビ子さんもきっとそんな気持ちだったんだと思う。




あとでリリのおばあさんから聞いた話だが、トビ子さんはおばあさんと同窓で、お互い若い頃は一緒に山に入ったこともあったのだとか。
犬猿の仲だった、と言う割に彼女のことを語るおばあさんの口元には楽しそうな笑みが浮かんでいた。
なにやら二人の間には色々とエピソードがありそうだ。


そんな縁もあってかこれ以降トビ子さん――最近は専らトビさんと呼んでいるが、彼女は何かと俺達……特にリリのことを気にかけてくれるようになり、フィールドワークにおける半ば師匠的な存在となっている。

彼女は近傍で狩猟をする人には隠れた有名人だそうだ。
リリが鳥獣管理の仕事ではじめての場所へ行く際にも、「あの『トビ』の弟子」と知ると一目置かれることが少なくないという。

……「あの『偏屈なトビ』が弟子にするくらいだからコイツも相当ヤバいヤツに違いないぞ」と逆の意味で警戒されてしまうこともあるそうだが。














そんなことを考えていると、リリがこんなことを言った。


「知ってる?ニホンジカの生息数って日本列島ができてから、今が一番多いんだって」
「そうなの? 意外だね。オオカミがいなくなったからかな? それにしたって、人間がいなかった頃のほうが多そうだけど」
「いえいえ。実は、ニホンジカが日本列島にやってきたのは人類到来よりもずっと後なのです」
「え、マジで?」


てっきり大昔から生息していたように思っていたけど。
いや、よく考えれば日本列島は元々海の中に出来た孤島で、今の日本にいる動物も大陸と陸続きになった時期にわたってきたんだったか。
それ以前、何十万年も前の本州には、ナウマンゾウとかオオツノジカとかヘラジカとかバイソンとか、サーベルタイガーとかハイイロオオカミとかヒグマとか……とにかくやばいやつらが跋扈していたのだ。



「だいたい四万年くらい前に動物たちを追いかけてヒトがやってきて。ニホンジカは二万年前くらいの登場なんだって」
「じゃあ鹿がやってきたのは、縄文時代がはじまるちょっと前くらいか。そう考えると、日本人と同期とも言えるね」
「うん。それでね、よく、オオカミがいなくなったのがシカが増えた原因って言うでしょ?」
「ああ、よく聞くね」
「ニホンオオカミはだいたい一万年前くらいに誕生したんだって」
「え、そうなの?」
「オオカミ自体は数万年前からいたみたいだけどもっと大型で、日本の環境に適した中型のニホンオオカミが生まれたのは一万年前らしいよ」


となると、人間の方がニホンオオカミより古くから日本列島に生息していて、旧石器時代、縄文時代、弥生時代……と連綿とシカを狩猟し続けていたことになる。



鹿が急速に増えてきた理由のひとつに、天敵=捕食者の消失というのは間違いなくあるだろう。
だがその「天敵」の内訳は、もしかするとニホンオオカミよりも人間の方が大きかったかもしれない。


シカが大量発生したのがニホンオオカミの絶滅と近いタイミングだから「ついついオオカミがいなくなったから」と連想してしまっていたけれど……
実は、山で狩猟をする人間が激減したのと同じタイミングとも言えるわけだ。


よくよく考えれば、ニホンオオカミが本当にニホンジカの最大の天敵だったなら、明治に絶滅して割とすぐにシカが大量発生したはずだからな。
なのに、オオカミが絶滅してから100年も経った最近になって急爆増しているというのは、オオカミの存在に因果を求めるにはちょっとズレがある。


この問題を考える上で、山や森の生態系の中にかつていた「最大捕食者としての人類」という観点は忘れてはいけないのだろう。




もちろん、温暖化による食糧の増減や環境の変化などの要因も考えられるし、原因をひとつに絞ることはできないだろう。
どちらにせよ以前と比べて「鹿が減る要因」が少なくなっているのは確かだ。

何も対策しなくても、いつかは再び自然とシカの生息数のバランスがとれる日も来るかもしれないが、そのバランスが人や他の動植物にとって暮らすことのできる環境とは限らないし、それまでの間に人間側が被る被害も増え続けることにもなる。


自然は自然のままにという考え方もあるだろうが、人類もやはり自然の一部。
人間という生き物があれこれ悩み模索すること自体もまた、ひとつの自然の形なんじゃないだろうか。












ふうふの路の途中

すべての干し柿にひもを通して軒下に吊り下げた頃には、すっかり日が傾いていた。


冬至の日が「一年で一番昼の時間が短い日」というのは常識だろうが、日が暮れるのが一番早いのはそれより二週間ほど前、つまりちょうど今日この頃だ。

時刻はまだ五時にもなっていないが、すでにあたりは薄暗くなり始めており、肌寒さも増してきた。
そろそろ部屋に入ろう。

そんな声をかけようとリリを見ると、リリは真っ直ぐ夕暮れ空を見上げていた。


「もう冬だねぇ」
「うん」
「雪が積もったら、今年もりんごの雪室、作ろうね」
「ああ、そうだね……」


空の橙色に照らされて、その顔もほんのり色づいている。
思わず言葉をとめて、見入ってしまう。
大きな瞳をよく見ると、たなびく雲が映っていた。




俺は……
俺は、いつまでリリと一緒に歩けるだろうか。





島根県は、長寿県だ。

2012年から2025年までの13年以上、100歳以上の人口比率日本一を誇っている。
2025年時点で、100歳以上の長寿者が1083人にも上った。

人口60万人中1000人以上が100歳以上。
10万人あたり168人ほどの割合になるが、これは全国平均の208%。2倍以上だ。

なお、日本国自体が100歳以上の人口比率世界一位なので、島根は世界で一番長寿な土地と言っても過言ではない。




島根と言えば、どこにあって何があるのか分からないとか、過疎の代名詞だとか、何かと不名誉な風評があふれている。
先の長寿比率も、高齢化率とのトレードオフ(=若い人が少ない)でもあるのは確かだ。

それでもこの長寿ぶりは、間違いなく誇るべきものだろう。





島根の100歳以上の人のうち、9割近くは女性だというが、100歳以上の男性も100人以上に昇る。

とはいえ、俺とリリ。
年齢は俺が6歳年上かつ、男性。
順当にいけば、年下かつ女性であるリリの方が、俺よりも数年長く生きることになる。

リリを残して旅立つ、そんな遠い未来を、ほんの少し想像して一瞬胸がしめつけられてしまう。


――――いや。
本当に遠いんだろうか。

これまで数え切れないくらいしてきた旅で、「半分」を過ぎたら後半は「あっという間」なのは身に染みて知っている。
人生という旅においてもそれは同じかもしれない。


リリと結婚してから今日まで、この5年間を振り返ってみれば本当に色々あったけれど、同時にすべてが昨日のことかというくらい短い期間にも感じてしまう。


たとえば人生の残りがあと50年だとしても。
いや、これが100年だって、あるいは200年だったとしても、振り返ればやっぱり「あっという間」に感じるんじゃないか。


そんなことを考えていると、今この瞬間がかけがえのない大切なものだという思いがあらためて心に湧き上がってくる。
ほとんど無意識に、リリの手を包むように握っていた。


「なあに?」
「いや、なんというか……………………幸せだなぁって思って」



口をついたのは平凡でありきたりで説明不足な言い回しだった。
文筆業で食べてる者の端くれとして情けないが、でもそれでいいと思った。

するとリリも手首を返して、俺の掌を握り返し笑顔をこぼした。



「ふふっ。はい、とっても幸せですねぇ」





こんなふうに並んで幸せを語ったことが、ずいぶん前にもあった気がする。
あれは確か岐阜……馬籠で再会したときだったか。



「美味しいものを食べてるときって幸せ!
 あと、お風呂に入ってるときとか、布団の中でぬくぬくしてるときも幸せ!
 最近は温泉も多いから、もっと幸せ!」
「はは……それならいつも幸せだね」


日常の中のありふれた楽しみや喜びを、「幸せ」だと言葉にした彼女。
そんな彼女の考え方や物事の捉え方も、この人と生涯を一緒に歩きたいと思った理由のひとつだった。



いちいち感動をかみしめるのは、おおげさかもしれない。
だが、人生を楽しく生きるためにはおおげさなくらいでちょうどいいんじゃないか。


面白いことに、感動というものはそれに慣れて当たり前だと感じれば失われるものだが、大げさなくらいに逐一感動を噛みしめていれば、褪せるどころか増していく。

むしろ、久しく感動を覚えないと感動する心そのものが失われていくことさえある。



きっと心は、感動そのものに慣れるのではなく、状況に慣れるのだ。
それが特別ではなく当たり前になってしまうから、感動が褪せてしまう。


だからこそ、いつもと同じように見えること、過去に起きた出来事と同じ様なことの中でも、意識して新しい発見を探し続けたり、いつもとは違う道を、あえて歩いてみたり。

そうやってありふれた日常の喜びを「幸せ!」だと自覚することが、きっと大切なのだ。





俺は、いつもワクワクするものを見つけたい、自分の心が震えるものを探したい、そう思って旅をしてきた。
人生を「旅」と捉えるなら、人生においてもそうありたいと心の奥底で思っていたのかもしれない。



独身の頃には、旅から旅へと飛び回るような生き方ができないかと模索したこともあった。
結婚は、そうした未来を断ち切る選択だった。
それを承知で、それでも俺はリリと歩く道を選んだ。

その結果はどうだろう。
今日まで感動は尽きることなく、日々が発見に満ちている。

これは、間違いなくリリの影響によるものだろう。





「奇跡的な確率を乗り越えて、今こうして二人でいる」




かつてリリが口にした言葉。
それは今この瞬間もきっとそうなのだ。

日々の……決して当たり前ではない、特別な瞬間を、大切に重ねてきた結果……今、こうして二人でいる。



これからも一緒に歩んでいく中で、時にはこんな風に立ち止まって向き合い、呼吸を整えて。
ふたりで新しい一歩を踏み出していこう。



















参考資料


動物にも顔認証 AI使い精度8割、クマ向けなど 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66549230U0A121C2000000/


富有柿の歴史 瑞穂市
https://www.city.mizuho.lg.jp/4506.htm


旬の食材百科 フーズリンク
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/kaki-Hanagosyo.htm

https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/kaki-Baby.htm
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/kaki-Taisyu.htm
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/kaki-Fuyu.htm
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/kaki-Neosweet.htm
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/kaki-Saijyo.htm


こおげ花御所柿 農林水産省
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/0072/index.html


ツキノワグマ出没予測マニュアル 環境省
https://www.env.go.jp/nature/choju/docs/docs5-4a/cause/index.html


第二種特定鳥獣(ツキノワグマ)管理計画 島根県
https://www.pref.shimane.lg.jp/industry/norin/choujyu_taisaku/chojuhogo.data/kuma.pdf


第二種特定鳥獣(ニホンジカ)管理計画 島根県
https://www.pref.shimane.lg.jp/industry/norin/choujyu_taisaku/chojuhogo.data/sika.pdf


論文 島根県におけるツキノワグマの生息実態調査(Ⅳ)
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/region/kikan/chusankan/syoseki/research/no_14kenkyuhoukoku.data/kenkyuhoukoku-no14-3.pdf


令和6年クマ類の動向 環境省
https://www.env.go.jp/nature/choju/conf/conf_wp/conf04-r06/mat01.pdf

Brown Bears Use ‘Human Shield’ to Protect Their Cubs
https://www.nationalgeographic.com/animals/article/brown-bear-human-shield-mothers-cubs-breeding


温暖化による日本のブナ林への影響予測 森林総合研究所北海道支所
https://www.ffpri.go.jp/hkd/research/documents/rp89.pdf

クマのボディメンテナンス術~1年間の脂肪蓄積量の変動から見たツキノワグマの栄養戦略~ 東京農工大学
https://www.tuat.ac.jp/outline/disclosure/pressrelease/2025/20260105_01.html



















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